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2015年8月7日金曜日

【再開】「評論・批評・時評とは何か?――堀下、筑紫そして・・・」その9  /  堀下翔 

24.堀下翔から筑紫磐井へ(筑紫磐井←堀下翔)
the Letter from Kakeru Horishita to Bansei Tsukushi 


ご無沙汰しております。堀下です。

唐突に福田さんにバトンタッチした形になりましたが、今回から復帰ということでよろしくお願いします。千本ノック式に話題を変えているうちに出たのがバルトの話題でしたが、その後福田さんが私信で前々回の内容をご教示くださり、無責任を知りつつ転載をお願いしたのがご登場の経緯です。

その後私信の転載にとどまらず、磐井さんとの数回のやり取りがあったわけですが、実はそんなことになっているとは知りませんでしたので驚きました。

と、以上は読んでくださっている方向けの挨拶ですが――。

本編の内容を番外編で分析する形でお二人が話し尽くされたところですから加えるべきところは思いつきません。「むしろ創作に当たっての理論は一種の「気合い」であると思っています」と磐井さんがお書きになっていたのはなるほどその通りかもしれないなと思います。

前回の最後を引き受けると『新撰21』周辺の世代論になりますか。『新撰』入集メンバーでは北大路翼、村上鞆彦、矢野玲奈が第1句集、鴇田智哉、佐藤文香が第2句集を出したところでたしかに『新撰』以後の展開をまとめて論ずることが可能な時期かもしれません。「第1世代の神野紗希・佐藤文香世代から第2世代の西村麒麟・堀下翔世代」とのことで、神野紗希と西村麒麟は同い年ですから年代の区切りではなく入集したかどうかですね。入らなかった同世代の落胆は想像に難くありません。いっぽうで僕はといえば、俳句を始めたのは2012年の春ですから、『新撰21』(2009)はおろか『俳コレ』(2011)にも間に合っていません。そう、『超俳コレ』でもあれば絶対に入ってやるぞ、といったところです。

せっかくなので間に合わなかった世代を挙げておきましょう。自分の名前しか出ていないのはちょっとこっぱずかしいですから。『新撰21』の最年少が越智友亮(1991年生)、『俳コレ』の最年少は小野あらた(1993年生)です。小野さんは今年から社会人なので、その下、ちょうどいま大学にいる世代がそれに当たります。活動時期としては入集可能だった世代とは違って、こちらは時期的に入りようがなかった世代ですから、リストアップは簡単です。

安里琉太(1994生)
今泉礼奈(1994生)

あたりはすでに念願の総合誌デビューを果たしています。安里は「銀化」「群青」、今泉は長らく無所属でしたがついに今年度になって「南風」に入りました。

関西の大学生はだいたい「ふらここ」に入っています。学生を中心に若いのが集まっている俳句集団です。かなりの人間がいるようですが、作品集がないのでいったい誰がいるのかよく分かりません。僕はことあるごとにふらここ関係者に「どんな人がどんなものを書いているのか知りたいから作品集を出してくれ」と言っていますが出る気配はありません。もちろんこれはふらここに限らずどのサークルにも言えるのですが、ふらここの場合は作品集を出せば関西の学生をかなり見渡せるので、みんな喜ぶと思います。現状、メンツを把握できるのは1年前に「週刊俳句」がふらここプロデュース号をやったときの執筆者一覧(http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/04/366.html)ですが、参加していない人間もいるらしく、不完全です。

間に合わなかった世代の名前を挙げます。結社・同人誌に所属している学生も何人かいます。

二人して打ち上げ花火見てた写真 川嶋ぱんだ(1993年生・「船団」)「俳句新空間」(平成二十六年夏興帖・第五)2014.9.26
山笑ふせーのであける恋みくじ 山下舞子(1994年生)「週刊俳句」2014.4.27
小憩に外す軍手や鳥帰る 森直樹(1994年生・「鷹」「鷹」2014.5
恋という仮説どんぐり転がりぬ 安岡麻佑1995年生)「週刊俳句」2014.4.27
手繋げば手の甲寒し藍の花 小鳥遊栄樹(1995年生・「若太陽」「里」「群青」)『海を捨つる』(私家版句集)2015
思うほど眼球軟らかく春雷 沙汰柳蛮辞郎(1995年生)「俳句新空間」(平成二十六年花鳥篇・第七)2014.7.11
ふらここや後ろが冬で前が春 大池莉奈(1995年生)「石田波郷俳句大会第6回作品集」2014
みづうみの底に日当たる涼しさよ 浅津大雅(1996年生)「俳句新空間」(平成二十六年夏興帖・第七)2014.10.10
かたづけて舞台小さし花のなか 辻本鷹之(1996年生・「銀化」)「銀化」2015.5
釣り上げし鱸は銃の重さかな 下楠絵里(1997年生)「WHAT Vol.3」2015

ふらここの面々はこのブログによく出ていますね。ブログで読めてありがたいです。ちなみに大学卒業組では中山奈々、ローストビーフ、山本たくや、木田智美、野住朋可、黒岩徳将、仮屋賢一などがいます。立ち上げたのは黒岩徳将で、いまは仮屋賢一が代表をしています。

関東の方に目を移します。関東はあちこちの大学に学生俳句会があります。だいたいインカレサークルになっていますから、どこへ行っても似たような顔ぶれの観はあります。実動しているか微妙な大学も含んでいますが、東大、早稲田、慶応、立教、ICU、明治、筑波あたりが学生句会を開いています。早稲田の俳句研究会はここ何年か定期的に作品集を出していますが、他のところは特に出していないようです。もちろん、大学俳句会ではないところに通っている人、句会に出ていない人もいます。またパラパラと名前を挙げてみたいと思います。

綿虫や何人もゐて寝しづまる 今泉礼奈(1994年生・「南風」)「俳句」2015.1
最果てに風売る店や昼寝の国 平井湊(1994年生・「群青」)「群青」2014.9
花ぐもり鯉やはらかく衝突す 高瀬早紀(1994年生)「週刊俳句」2014.12.7
冬厨明かりが灯るまでの二秒 副島亜樹(1994年生・「群青」)「群青」2014.3
復活祭家族写真は残すべし 大藤聖菜(1994生)「星果てる光Ⅱ」2014
冬うららどこにでもある諏訪神社 青木ともじ(1994年生・「群青」)「群青」2015.3
紫陽花や指紋を遺す触りかた 島津雅子(1994年生)twitter
泣き声が白梅よりもずっと先 葛城蓮士(1994年生)「俳句ポスト365」2015.1.22
名月や銀の波立つ山の湖 赤石昇太郎(1994年生)「早大俳研第十集」2014
夕映となるぎりぎりをスキー跳ぶ 東影喜子(1995年生・「群青」)「早大俳研第十集」2014
柚子風呂の君には柚子の集まりぬ 玉城涼(1995年生・「群青」)「群青」2015.3
大陸へ向かふ飛行機夏兆す 兼信沙也加(1995年生)「週刊俳句」2014.12.7
紙風船しわを増やさぬやう受くる 林楓(1995年生)「早大俳研第十集」2014
柄のみで決むるパンツや春隣 魔王(1995年生・「いつき組」)ブログ「烏と魔王の夏休み」2015.8.2
エンドロールのはやさで降つてゐる雪よ 大塚凱1995年生「群青」)「群青」2015.3
誰もゐない楽しき家や冬の鵙 杉山葵(1995年生)「俳句ポスト365」2014.11.6
名を知らぬ名曲にふれ風薫る 谷村康太(1995年生)「早大俳研第十集」2014
五円では叶わぬ願い秋の暮 町田佳奈子(1996年生)「早大俳研第十集」2014
声透明桜吹雪の向かうから 永山智郎(1997年生・「群青」)「俳句」2015.1
風船に父の息ありもてあそび 坂入菜月(1996年生)twitter
量子力学袋の中に玉虫ゐ 青本瑞季(1996年生・「里」「群青」)「里」2015.6
雨の学祭花をつけない木ばかり太い 青本柚紀(1996年生・「里」「群青」)「週刊俳句」2015.7.26
うららかやかがみこむ足の折れているところなど 宮崎玲奈(1996年生・「円錐」「群青」「蝶」)「群青」2015.6

それ以外の地方で書いている人を挙げたいと思います。

芹の根を離れぬみづの昏さかな 安里琉太(1994年生・「銀化」「群青」・沖縄)「銀化」2015.1
天才の生まれる朝へ田水張る 工藤玲音(1994年生・「樹氷」・宮城)「学生俳句チャンピオン決定戦2015」NHK(しこく8)2015.6.5放送
つばくらの影落ちにけり母子手帳 樫本由貴(1994年生・広島)広島大学俳句サークル・H2Oブログ2015.7.6
夏シャツや天守見上げて風の吹く 崇徳(1994年生・広島)広島大学俳句サークルH2Oブログ2015.5.19
滝に触るるやうにフライパン洗ふ 宗政みつき(1994年生・愛媛)「星果てる光Ⅱ」2014
黄昏や菜の花の波堆し 田中枢(1995年生・「itak」・北海道)「現代俳句」2014.10
空へ宇宙へ「ひまわり」は飛ぶ雲の峰 羽倉紫羽(1995年生・愛媛)「俳句王国がゆく」NHKEテレ2015.6.21放送
はつ夏のみづを怖るる子猿かな 小川朱棕(1996年生・愛媛)愛大俳句研究会twitter
少年の声の実れる踊りかな 福岡日向子(1996年生・愛媛)「俳句王国がゆく」NHKEテレ2015.6.21放送
鳥はみづになる春の月のめざめ 脇々(1996年生・愛媛)「WHAT Vol.3」2015
風薫る写生の画用紙のましろ 初号機(1996年生・愛媛)愛大俳句研究会twitter

以上40人強をざーっと並べてみました。だいたいが俳句甲子園出身者です。高校を卒業したあとも句会に出ている人は他にもいますが、引用できる句が見つからない場合は外しています。それに僕の知らないところで書いている人は大勢いるでしょう。漏れた人はごめんなさい。

それにしても大学1~4年でこれだけ書き手がいるのは自分の世代ながら安心します。全員が全員作家意識を持っているわけではないのは百も承知です。僕は「学生俳人」という言い方が好きなのでよく使いますが、自分は俳人ではないからその呼び方はイヤ、という人もいます(たんに俳句を書く人をそう表現しただけですが……)。それでも身近にこんなに同じことをしている人がいるのは心強いです。とくにいまはSNSが発達していて遠方の書き手ともすぐ連絡が取れますから。

そういうわけで、こんな人たちが新撰以後世代の最年少に当る、という話です。僕は同世代の俳句がとても好きですから、思わずこういうリストを作ってしまいました。面白い句がたくさんあるので、機会があればもっと紹介したいくらいです。オッ、スゴイゾッと思わされる同世代の新作が、いつか決定的な俳句史の一句になることすら夢想しないでもないのです(もっともこの場合の「同世代」にはもう少し年齢の幅もあるのですが)。〈ひるがほのほとりによべの渚あり〉を波郷が詠んだのもまた十代であったことを思うとき、それはあながち大げさすぎる思いではないでしょう。

さて、間に合わなかった世代を見てみたところで、今度は入れなかった世代を見ていきたいところです。どういう形にすればいいのか迷っていますが、すこし作家論のように話していければ面白いのかなと考えています。磐井さんは西村麒麟の名前を出していましたね。僕は他に、生駒大祐あたりの名前も気になります。

あ、それから、本稿は「新撰」以後の話でありながら、勝手にそれを「俳コレ」以後と同一視して書いてしまいました。前回、〈残念ながら同じ趣旨の『新撰21 パート3』は出ませんでしたが(世代を限定し、自選する、ギラギラとした選集というコンセプトのシリーズは後続しなかったということです)〉(磐井)という発言が出ていたので、それを無視する形になってしまってすみません。もちろん、自選・他選の違いは作家にとって切実なものでしょうが、今回は「アンソロジーに入れなかった」の視点で考えてみました。他薦なら入るもんか、という作家もいるでしょうが、それでもいい、入りたいという作家(そして入れなかった作家)も多いでしょう。特に最年少層にはどうしても俳句甲子園出身という共通点がありますから。その熱意は上記引用の「ギラギラ」と同質だと思います。この「新撰」「俳コレ」の区別についても、お話ししたいです。

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