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2014年6月13日金曜日

 【朝日俳壇鑑賞】 時壇  ~登頂回望その十九~ 網野月を

(朝日俳壇平成26年6月8日から)

◆母亡くし毎日母の日となりぬ  (群馬県東吾妻町)酒井せつ子

長谷川櫂の選である。お母様を亡くされてまだ時を経ない頃の様子であろう。句中の「母の日」とはお母様を思い出している日々であり、そういう意味では五月の第二日曜日の「母の日」設置の主旨と合致するが、掲句の「母の日」は特定の日を限定していない訳であるから、行事に分類するところの季語・母の日とは異なる。句中にも「毎日」とあるから、要は、掲句は無季の句である。ということは六月初旬の「朝日俳壇」に掲載をされたものの、異なる季節なら選者はせんをしたのであろうか?



◆母の日の母詠むことを供養とす (泉大津市)多田羅初美


大串章の選である。選者の評に「第二句。これぞ俳人、という感じ。母なる人も俳人にちがいない。」とある。この「母の日」は五月第二日曜日を指定している。本年は、五月十一日であった。その日に「母詠む」のである。詠んで句にするからには故人の様子や嗜好、癖などを思い浮かべるのだ。将に供養に他ならない。

以前、先輩の女性俳人から「男性は、(男性の)亡師についてニコニコ笑いながら、楽しそうに話をしますね。」と、羨ましげに指摘されたことがある。その通りである。亡師の話をする時は多分、傍からは自慢話をしているように思われることだろう。いかに自分と亡師が親密であったかを物語るためだからである。

肉親については、母親についてはどうだろうか?血の繋がりは親密をはるかに超えている。もちろん全ての方々が一様ではないだろうし、お亡くなりになった日から経た時間にも拠ることだろう。筆者はくしくも母の日に母を看取った。その時の寸前まで小言を言われていた記憶がある。ニコニコ笑いながら、楽しそうに話をする境地には至っていない。昨今は、亡母の一言ひと言に感謝を覚えているが。





【執筆者紹介】

  • 網野月を(あみの・つきを)
1960年与野市生まれ。

1983年学習院俳句会入会・同年「水明」入会・1997年「水明」同人・1998年現代俳句協会会員(現在研修部会委員)。

成瀬正俊、京極高忠、山本紫黄各氏に師事。

2009年季音賞(所属結社「水明」の賞)受賞。

現在「水明」「面」「鳥羽谷」所属。「Haiquology」代表。




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