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2013年11月1日金曜日

「俳句空間」№ 15 (1990.12 発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ(続・1/三橋敏雄「当日集合全国戦没者之生霊」  )/大井恒行

およそ三年前「-俳句空間-豈weekly」に15回ほど掲載したが、改めて続編を書き継いで行きたい。最終号は飯田龍太だったが、ちなみにそれまでに取り上げた14人を下記に列挙しておくと、順に、阿波野青畝、永田耕衣、橋閒石、加藤楸邨、高屋窓秋、能村登四郎、稲葉直、中村苑子、後藤綾子、田川飛旅子、桂信子、佐藤鬼房、原子公平、草間時彦。平成時代(平成元年1月~平成2年7月までの自信作)として、それぞれ寄稿された作品5句のうち一句のみは、公開されたが(無謀にも私が一句のみをそれぞれ選んだ)、当時、それぞれが公開されることなく終った句作品であることは、実に貴重な資料になるのではないかと思い、記録として留めておきたいという願いに端を発していた。今、このブログに続編を書き継ぐに当たってもそのことへの思いは変わらない。

続篇・第一回は三橋敏雄から始めることにしたい。


三橋敏雄「当日集合全国戦没者之生霊」  

三橋敏雄(1920〈大9〉.11.8~2001〈平13〉.12.1)の自信作5句は以下通り。

美空ひばり死す軒雀睡れる間    「俳句研究」平成元年10月
原爆死者忌脱ぐ汗のシャツ裏返る    〃
当日集合全国戦没者の生霊       〃
軍装の昭和天皇御眞影         〃
土古き野山の蝉のむくろかな      〃

一句鑑賞者は、各務麗至。その一文には、「当日集合も、全国戦没者も、生霊も、とりたてて驚かされる言葉ではないのである。/懼ろしいのは『の』ではなく『之』で立ち上がつた後の異様な世界である。/時間を遡つて当日集合するのが、集合したのが、全国千尾津者の生霊たちといふことであるのか。あるいは、生霊が現在ある私たちに向つて、集合せよと言つてゐるのか。/しかし、私の中で理解できぬまま崩れるものがある。いつたいそれが何であるのか。/この檄を受けて、迷はず一直線に集ひ来る生霊といはず、あの戦中からの視線をして、あらゆる無念を今なほ引き摺つてゐる遠い遠い軍靴の音が聞こえて来る(中略)/一瞬一瞬の現在といふ時間をさまよふ生霊たちとは、あるいは、私たちのことかも知れないのであつた。現在ある生命こそが、慈愛の、悲しみの揺曳なのである。

とある。生霊とはまさに戦没者の一人ひとりを抱え込んでいる只今現在を生き永らえ、生きている私たちの魂のことであったのだ。ならば、死霊はいずこにあるのか。靖国神社か。あたかもそれは昭和が終った年に記された一句にひそむ言霊なのかもしれない。

各務麗至に『風に献ず』(詭激時代社)の一集がある。その題字・扉は三橋敏雄の墨影である。それには「貴作『風に献ず』篇のこのたびの一連にひとつの到達を示すもの活字印刷で見るとまたちがった緊張感が伝わってくるように思われます ともかく俳句は(俳句に限りませんが)他に紛れることのない独自性を目ざすことが大切でよいわるいはその後の問題と考えます」とある。

早くも三橋敏雄13回忌がくる。



1 件のコメント:

  1. 生前の三橋敏雄さんにお会いしたときに、「軍装の」句に感銘したことをお話しました。今考えてもいい句です。拙句に「戦争の昭和天皇忌の蕪」があります。松田ひろむ

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