俳人であり写真家である豊里友行の本質は、沖縄に暮らす者としての血の通った表現にあると思うが、個人的にはたまに出現する皮肉っぽい句やシュールな句により魅力を感じるので、ここで少し紹介しておく。
蟹を食う父母は獅子舞のようです
顔を突き出してデカい口を開け、並んで蟹をくらう両親の滑稽さと恐ろしさ。その二人の子供であるこの人は「ようです」とリポート調に述べる。ホームビデオを見せられているようでもあり反応に困るが、その妙な空気がいい。
菜の花は洋菓子店の絵画です
ふつうに述べれば「洋菓子店の中に飾られているのは菜の花の絵画です」ということのはずだ。しかしまず「は」で強引に菜の花が主題として提示されたことで、一旦リアルな菜の花が目に浮かぶ。そこから洋菓子店の外装を思い、店内に入ってまた絵画に出会う、それが菜の花の絵である、というように、菜の花に二度出会う構造になっている。
もしくは、「洋菓子店の絵画のようです」を省略したかたちかもしれないが、そうだとしても、菜の花の褪せた黄色、小綺麗で少し古い洋菓子店を想像することにはなるだろう。
玉葱炒めのプチ哲学を堪能する
哲学という広く深い思索を要する分野について「プチ哲学」や「堪能」などと言うのは最大級のおちょくりである。「玉葱炒め」というのもどうなんだ。玉葱は多くの炒め物の名脇役ではあっても、主役になるというのは、ほかの具材がせいぜい薄いベーコンと細かい人参くらいということだろうか。だからこそ「プチ哲学」が必要になるのか。謎だ。が、当の本人は満足気に見えるから面白い。
散文的と思われるかもしれないが、現代川柳に通じる作品としても記憶しておきたい三句である。
なお、ご興味のある方には豊里友行の写真もぜひおすすめしたい。撮影者の心が、その場の空気を真面目に捉えている。今の沖縄に必要な写真家だと思う。