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2024年7月12日金曜日

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり  11 中岡毅雄第5句集『伴侶』(2023年8月刊、朔出版)豊里友行

 帯文の「伴侶という題名に相応しい、他者の全き受容の美しさを想う。この宇宙に、亡き母に、そして共に生きる妻に、衒いなく心開いてゆく姿勢は、優しく静かな緊張感に満ちている。まさに今世紀の詩歌である。」(水原紫苑)とあるように尊い。


つばくらめかけがへのなき日々であり


 燕(つばめ)。古くは、「つばくらめ」「つばくろ」と呼ばれた。

 雨が降り始める前兆として地虫が大地の表層に現れることから燕が放物線を描くように地面すれすれに旋回を繰り返す。

 人生の土砂降りを御経験の方は、どのくらい居るか。作者にとって人生のトンネルのような暗闇の日々があったことは、この句集『伴侶』においても垣間見える。

 その人生のトンネルを抜けた中岡毅雄さんは、その燕たちの空を輝かしくもかけがえの無い日々であり、その高揚感さえもじっくりと噛み締めているようだ。


芹摘の空すきとほるところまで

無花果を煮つめてさらに昏くなる

実南天まぶしく職に棄てられし

蚯蚓鳴く引き籠り癖いつまでぞ

夕落穂このごろゆるき鬱の波


 芹摘(せりつみ)。芹を摘むとも。その意味は、相手に思う心を届けようとして、かなわず苦労をすること。だが作者の心は、透き通るほどのところまで想い続ける芹摘の空なのだ。

 無花果は、イチジクと読む。その無花果を煮つめるとさらに夕暮れの暗さが増すと感受する感性の光り。

 実南天は、俳句的省略の呼び方で南天(なんてん)の実のこと。これを乾燥させて咳止めの薬にされたりもする。その南天の実が、眩しいほどに社会の目暗みを孕(はら)んでいる。そこで職に棄てられたとある。富澤赤黄男の俳句に「美しきネオンの中に失職せり」がある。実南天の季語と現代社会の人間ひとりの存在の軽さを見事に俳句に結実させている。

 蚯蚓(みみず)鳴くも。夕焼けに漂う落ち穂も。辛かった引き籠り癖の長いトンネルや憂鬱の海原を泳いだ日々も俳句に刻み込みながら。


晩婚といふ寧けさよ虫時雨

すみずみまで妻のぬくもり春の月

抱へきれぬほどの冬薔薇贈りたし


 晩婚という寧(やす)けさには、やすらかな虫の鳴き声が時雨のように透き通るように抱擁されているふたり。

 なんて素敵な俳句だ。ロマンチストの私もうっとりしてしまう。

 日野草城の「ミヤコホテル」を彷彿とさせるが、それ以上の愛燦燦とかも。

 春の月の光が届かぬものはないといわんばかりに隅々まで妻のぬくもりを感受する。

 抱えきれないほどの冬の凛とした薔薇に託した想いを贈りたい。

 俳句を作者もよりよく生きる杖としてきたのだろう。

 優しい気持ちになるキラキラ句集に私もあやかりたい。


 共鳴句を下記にいただきます。

 ありがとう。ありがとう。ありがとう。


草原に石鹸玉いま草のいろ

ものの芽にもつとしづかなときを待つ

辛夷あかりへあと一歩あと一歩

蚯蚓鳴くこの気怠さのいづくより

縄跳の子にみづうみの光さす

すきとほるやうなにほひの雪兔

息ふるるまで凍蝶に近づきぬ