【俳句新空間参加の皆様への告知】

【ピックアップ】

2024年7月10日水曜日

エッセイ「NHK俳句・蜜豆」  筑紫磐井

 NHK俳句に出演した。

 「蜜豆」の題の句会であったが、元々季語のない俳句を深夜黙々と作る流儀だから公開の句会に出席するのは1年ぶりぐらいになる。メンバーは、高野ムツオ、能町みね子、筑紫磐井、神野紗希、中西アルノ、(司会)柴田英嗣。

 これはこれでよいのだが、折角のことと思い述べた「蜜豆」の蘊蓄が殆どカットされたから、話を洩れ聞いた人から残念がられた。

 映像化されていない情報であるので、ここに少し補足を加えながら披露しておこう。


 鷹羽狩行は、季題が持っていた本意をむしろ根源的季感と置き替え、この季感の範囲内で個別の季題・季語が具体化されて行くのだと考える。例えば、夏衣という季題(根源的季感)から、夏服・白服・羅・白シャツ・アロハ等々と新季語が生まれて行く正当性も、夏衣の持つ季感に由来すると説く。新しい季語を積極的に取り入れようとする現代俳句にとっては傾聴に値する議論だ。私はこれを季感発展説と名付けている。


 さて、夏の涼味を誘うものとしては「ところてん」があった。

  清滝の水汲みよせてところてん 芭蕉

 蜜豆の寒天はこれに由来するかも知れない。


 しかし「蜜豆」の本体の豆は、季題「茹小豆」に由来するだろう。茹でた小豆に砂糖を加えて食べるもので、「俗説に土用に入る日、赤小豆を食へば疫病を避くとて今の人よくすることなり」(日本歳時記)といわれており江戸時代から売られていた。

 これが明治となって、新しいスィーツとして売り出された。浅草の「舟和」という店から「蜜豆」として提供されたのが始まりだとされている。以後様々な店で提供された。その一つに、銀座の「月ケ瀬」という甘味処もあった。しかしここで画期的な事件が起きた。昭和12年、この店の支配人である橋本夢道という人が、蜜豆に餡を乗せた「あん蜜」というスイーツを考案して一世風靡させたのである。夢道は、当時著名なプロレタリア俳人であったことから、このとき商品コピーとして「蜜豆をギリシャの神は知らざりき」という句を詠んで広告に載せ広く普及させたのであった。句の大意は、蜜豆という至福の味を、万能のギリシャの神さえ知らなかった、と言うものだろうと思う。明治の日本人に生まれてこその幸せだというのだから少しオーバーすぎるが、商品宣伝としては良くある発想だ。

 これは単なる都市伝説かと言えば、以前余白句会という詩人・文人の句会でご一緒させていただいた小沢信男(文筆家)氏によれば、小沢氏が学生時代に毎日利用していたが市電のつり広告で見ていたと話を伺った記憶がある。こんな都合のいい話があるかと少し眉唾かも知れないが、私自身通学に使っていた都電の広告に、「阿部定来る!」と言う広告で、大衆飲み屋が昭和の猟奇事件の主人公阿部定を仲居にして客寄せをしていた吊り広告を見たことがある。当時阿部定も存命であったのだと感激した記憶がある。市電・都電の広告はこんな情報交換する場であったのだ。


 「月ケ瀬」の当時のチラシ広告を貼り付けておく。チラシ広告でも夢道の句でも、妙に信憑性があるのは品名が「蜜豆」となってしまっていることだ。「あん蜜」誕生のその瞬間は、未だ「あん蜜」という名称が発生していらず、「あん蜜」を当時の人達は「蜜豆」と呼んでいたと推測できるからだ。

 ちなみに、夢道の「蜜豆をギリシャの神は知らざりき」の句は夢道の句集『無礼なる妻』には入っていない。なぜなら、反戦俳人、プロレタリア俳人として、逮捕投獄されていた熾烈な時代の句集だからで「蜜豆」のような甘い句はいれられなかったと想像される。

  うごけば、寒い 夢道

 そのせいもあるか、蜜豆の句として第一級の句であるこの句はいかなる歳時記にも載せられていない。句集にも雑誌にも掲載されていない句は、歳時記に載せる価値がないと編集者は考えているようだ。いや、善意で考えれば、この句は俳句ではなく、「コピー」なのだと考えられなくもない。案外、夢道もそう考えていたかも知れない。

 現在「月ケ瀬」はもうその名の店は残っていない。戦後のあん蜜の名店は神楽坂の「紀の善」だろう、私の世代だと場所も近いし何回か通ったが、数年前に廃業してしまったようだ。


 蜜豆を色々考えてみたが、実は安価な菓子である。材料は、寒天、豆、ぎゅうひ、果物、蜜など。特段高級な素材を使っている訳ではないし、高度な技術を使ってもいない。缶詰からそれぞれの材料を配合すれば素人でもそれなりの味はできる。高級菓子はどう考えても京菓子の方であろう。

 ところがこんな素朴な材料を使っても、浅草、銀座、神楽坂では高級品となる。当時若い男女が交際の場としていたのは、ビアホール、ミルクホールであるが、蜜豆が生まれると「蜜豆ホール」などという交際の場が生まれた。恋も生まれたに違いないが、まあそれは幻想に近い。蜜豆はさらに、あん蜜、クリーム蜜豆、クリームあん蜜、白玉あん蜜と豪華に発展する。狩行の予想した通りの展開だ。

     *

 結びになるがこんなことを考えていたから、NHKの句会では次のような句を出してみた。安価な菓子に着目した。


  蜜豆の儲けうすしや日影町


 日影町とは、町の片側が武家屋敷や寺にとられてしまい、片側だけしか店がならばない道筋を言う。片町などと呼ばれることもある。東京であると新橋日影町が有名だ。