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2024年6月28日金曜日

【新刊紹介】『相馬遷子の百句』を読んで  筑紫磐井

  仲寒蝉の『相馬遷子の百句』がふらんす堂から6月25日に刊行された。表紙の元気のある鯉の絵もいい、遷子の生地佐久の名物が鯉だからである。ただ相馬遷子と言ってどれだけの人が思い出すであろうか。

 相馬遷子(明治41年~昭和59年)は長野県佐久市の出身で、東大医学部を出て、陸軍から応召を受けて大陸に渡ったが病気となり除隊、その後函館で病院勤務をした後、郷里の佐久にもどり医院を開業した。俳句は医学部在学中に、同学部の先輩である水原秋櫻子の指導を受け「馬酔木」に参加した。戦後堀内星眠、大島民郎らと高原派と称される耽美な作品で一世を風靡したが、その後は開業医としての地元の風景と人々を詠み続けた。晩年は、癌との闘病を続け、医師として自らの病を見る句作を続けた。地味な作風であったが、「馬酔木」での水原秋櫻子の信頼は厚く、石田波郷に次ぐ葛飾賞を受賞、地元の寺には秋櫻子・遷子師弟連袂句碑が建立されているほどである。

 相馬遷子の作品については、本書の執筆者仲寒蝉と中西夕紀、原雅子、深谷義紀、そして私(この他に初期には窪田英治氏が参加)によりBLOG「ー俳句空間ー豈weekly」で平成21年3月29日から22年7月18日まで作品研究を行った。都合64回の連載、あいだに2回の現地調査を踏まえたものである。その後これらを踏まえて、『相馬遷子ーー佐久の星』(邑書林23年5月)を刊行し好評を得た。地元の信濃毎日新聞でも大きく紹介され、新装版までだされた。

 5人がこれほど遷子に惹かれた理由は、『相馬遷子100句』を読めば分るように、相馬遷子という作家の誠実な態度によることが多い。「俳句は楽しい」だけで済まないものを参加者が感じ取っていたからであると思う。

 こうした研究が一段落したところでふらんす堂が「●●の百句」シリーズで相馬遷子を取り上げたいと聞き、仲寒蟬氏がうってつけだと感じ推薦した。相馬遷子の共同研究としては様々な視点からの分析があった方がいいが、いったん相馬遷子をまとまった視点から書く時はばらばらな見方ではなく、筋の通った視点が必要である。そしてその筋の通った視点とは、単なる俳句の鑑賞にとどまらす、相馬遷子の生き方を見通す方向であった。連載途中に自ら書きながらいつも感じていたのは医療の視点が不足してしまうことだ。特に佐久という特殊な医療環境、開業医としての不本意さ等は他の4人(4人には医療関係者は1人もいないし、みな東京在住である)ではどうしても描ききれないものがあったように思う。

 その意味で仲氏は、総合病院勤務と開業医という違いはあれ、全く同じ佐久という地域にあって、佐久特有の生活環境(脳卒中死亡率は日本で最悪)・医療環境にあって、時代感覚はずれるものの医師としての悩みに共感を示しながら描いていけることが最大の強みだ。例えばこの本を読み終わっても、今もって頭では理解できても心情として理解がむずかしいものに、国民皆保険制度による地域医療の変質がある。これは当事者でなければ分らない環境だ。それは、仲氏の解説によっておぼろげながら伝わってくる。相馬遷子の俳句は、馬酔木高原派とか、抒情性とか、医師俳句とか言われているが、むしろ社会性俳句そのものではないかと感じている。いわゆる社会性俳句が登場する前から地方医療を現場とした社会性俳句を詠み始め(昭和22年頃)、社会性俳句が完全に終焉した後(46年頃)まで続く真生の社会性俳句であったと私は感じている。

 もちろん仲氏と私の感じるところは少しずれているかも知れない。それでも次の句はお互い無制限に語り合える作品だと思う。


寒うらら税を納めて何残りし

農婦病むまはり夏蠶が桑はむも    

星たちの深夜のうたげ道凍り     

山に雪けふ患者らにわれやさし     

春の町他郷のごとしわが病めば    

汗の往診幾千なさば業(ごふ)果てむ 

筒鳥に涙あふれて失語症       

母病めり祭の中に若き母       

隙間風殺さぬのみの老婆あり     

秋風よ人に媚びたるわが言よ     

とある家におそろしかりし古雛    

田を植ゑてわが佐久郡水ゆたか    

病者とわれ惱みを異にして暑し    

凍る夜の死者を診て来し顔洗ふ    

薫風に人死す忘れらるゝため     

患者来ず四周稲刈る音きこゆ     


 少し蛇足を加えさせていただければ、ふらんす堂の「●●の百句」シリーズは多くの著名作家を満載した誠によい企画だが、ここに登場するもっともマイナーな作家が相馬遷子ではないかと思う。これは遷子を貶めているのではない。遷子を取り上げた冒険心につくづく感心したと言うことを言いたいのである。ちなみに、戦後の名著として常に掲げられるのが山本健吉の『現代俳句』であるが、実はこの名著は何回か改訂が続けられている。その最後の改訂版、健吉がなくなる寸前、最後に手を入れた版に加えられたのが相馬遷子であった、この時追加された龍太、澄雄、節子と並んで遷子は健吉の俳句史の中で燦然と輝いているのである。そうした意味で、当代を代表する作家の飯田龍太もその最後の句集『山河』について縷々述べた後で、「私にとっては、いつまでも忘れがたい俳人の一人である」と述べているし、森澄雄も不自由な体でわざわざ遷子ゆかりの地を訪れて「遷子は友人だった」と語っている。こうした背景を踏まえてこその『相馬遷子の百句』であった。