俳句における表記問題
我々一行の俳句を作る作家でも、色紙に書く時には何の疑念もなく多行で書いている。これは一種の装飾とも考えられるが、これを俳句や詩の本質と考えようとする人たちもいる。最近、表記法をめぐる特集が一斉に行われた。伝統俳人たちにあまり縁がないように思われるかもしれないが、色紙を書く前に考えてみたい。
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一つは、「LOTUS」第四七号(二〇二〇年一二月)の特集「多行形式の論理と実践〈作品篇〉」である。巻頭随筆「主題と方法―「多行俳句形式」に向けて」を酒巻英一郎が執筆しLOTUS内外の一〇人が作品を発表している。作品中心なのだが、酒巻の短い随筆が、高柳重信亡き後の多行俳句の活動を手際よくまとめている。
今回特集に参加している林桂は以前『多行形式百句』という力作をまとめているが、これによれば雑誌ではじめて多行俳句が発表されたのは「層雲」の荻原井泉水作品(大正三年)、多行句集をまとめたのは高柳重信の『蕗子』(昭和二五年)だとする(実は多行句集としては前前号で紹介した従軍俳句集の田中桂香『征馬』(昭和一五年)が最初である)。
いずれにしろ多行俳句の歴史は古いが、九堂夜想が編集後記で「書き手も発生当初より少数派であったものが今ではおよそレッドデータ状態にある」というのが正直な感想であろう。
身に沁む 高原耕治
聽雪
いくそばく
華厳をめぐり
もう一つは、「青群」第五七号(二〇二〇年秋冬)の「特集「分ち書き」再考」である。伊丹三樹彦が一昨年亡くなり伊丹のすすめた「分ち書き」俳句の精神を見直そうとするものである。伊丹や有力同人の議論を再掲するのだが、特集の大きな動機は、伊丹の追悼文に寄せられた坪内稔典の分ち書き俳句批判があると言う。坪内は知られるように伊丹の門下を代表する現代作家だが、彼が行った批判が反発を呼び起こしたのだ。ただ編集部では、「分ち書きという技法は俳壇で冷遇されており、三樹彦が目指していた「俳壇の新常識」になるのには程遠い状態にある」と述べ、前述の九堂と同じ感想を漏らしている。
伊丹の論文では、昭和三四年の記事の中で自ら提案したと言っているが、分ち書きの歴史はもう少し古く、富澤赤黄男、楠本憲吉にも見られるはずだ(高原は「一字空白の技法」と呼んでいる)。読点や「!」も含めれば加藤郁乎が愛用しているのはよく知られている。
冬日呆 虎陽炎の虎となる 赤黄男
争へば火の鳥めくよ 夜の女 憲吉
白鳥は来る!垂直のあんだんて 郁乎
古仏より噴き出す千手 遠くでテロ 三樹彦
(以下略)
※詳しくは「俳句四季」3月号をお読み下さい。
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