未来図終刊
平成の末年というべき平成三十年には、「寒雷」「海程」「狩」が終刊し衝撃を与えた。加藤楸邨、金子兜太、鷹羽狩行の俳壇史に名前を残す作家たちが創刊した雑誌であるだけに、その衝撃度は大きかった。そしてまた令和時代が始まったばかりの令和二年には、また著名な雑誌として「未来図」「船団」が終刊した。
(中略)
「船団」終刊
坪内稔典代表の「船団」一二一号(令和元年六月)の後記で終刊が宣言され驚いた。その後「船団」は順調にというべきか、予告通り一二五号(令和二年六月)を以て終刊した。あと一冊会員名鑑や総目次を特集する増刊号が出るというが実質的には終わっている。
しかし、その終刊の理由は分かりにくい。船団の会の活動を終え、会員は「散在」する、そして一二一号以降の一年間をかけて活動の仕方、自分の活動の拠点を模索するというのだ。坪内は、ある意味で船団は今絶好調なのだ、だからこそあえて完結したい、新しく見えてくる何かにわくわくしているという。しかしはたして船団の何人がわくわくしているのだろうか。
約束通り一二五号の終刊号が出たが、この号のどこを見ても「散在」の姿かたちは浮かび上がらない。一二一号以降の一年間の模索は一般読者にはわからないのだ。あるいは水面下で会員たちの離合集散が図られているのかもしれないが、紙面では何も出てこない。
*
そもそも「散在」とは何なのか。軍事用語では、「散開」という言葉がある。ある攻撃地点に向かって各自ばらばらに行動し、攻撃点で集合することである。また、「復員」という言葉もある。これは、戦争に向けて物資・人材を集める「動員」に対立する用語で、動員した物資・人材をもとの状況に戻すこと、ふつうは戦争の勝利で行われるが、日本では昭和二十年に戦争に負けた時に起きた。いずれにしろあるミッションが想定されているわけだが、「散在」は目的が見えてこない。まるで、引上船に乗って帰ってきた復員兵のように見える。
例えば直前四号の特集は、「今、風立つ――俳句の前景」「俳句史の先端」「俳句はどのような詩か」等であったが、「散在」の状況の中で語られてこそ意味がある特集となるのではないか。我々は今や歴史的に客観的な事実を知りたいのではなく何をしようということにこそ関心があるのだ。
「散在」が出てくる理由は坪内の履歴によるのかもしれない。立命館時代に坪内が中心となって学生俳人による同人誌「日時計」を創刊、攝津幸彦、澤好摩がこれに参加した。「日時計」終刊後、澤らの「天敵」と大本義幸らの「黄金海岸」に分かれたが、「黄金海岸」には坪内、攝津らがいた。相変わらずの同士だったのだ。やがて「天敵」は「未定」に、「黄金海岸」は「豈」となったが、坪内だけは「現代俳句」という広い視点の雑誌を創刊し、やがて独自の「船団」を創刊した。こうした若い作家たちの離合集散を見ると、その状況はやはり「散開」に近かったと言えるかもしれない。しかし、今回の「船団」の示したものは「散開」とは違ったようだ。
一二五号から作品を掲げる。
あんパンへ歩いているよ十二月 坪内稔典
あんパンと孤独があって窓は雪
牡丹雪あんパンだって寡黙だよ
※詳しくは「俳句四季」12月号をお読み下さい。
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