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2020年10月30日金曜日

【抜粋】〈俳句四季11月号〉俳壇観測214 大井恒行の時評ーー活字ばかりでなく、電脳でも俳壇は動く 筑紫磐井

 俳句時評のあり方
 俳句時評は、この「俳壇観測」同様月評で行われることが多い。ほとんどの俳句雑誌は俳句時評欄を持つが、大概半年か一年で評者を交替することが多く、この「俳壇観測」のように同一の評者が長期間にわたり実施することは珍しい。似た例は、以前、林桂が「詩壇」で続けていたが滅多にないものだ。これは当該雑誌の編集方針であるから一概に是非は言い難いが、頻繁な交替は一長一短があり、様々な見方が示される一方で、評者ごとに取り上げる事項が一定の傾向を持つこともある。逆に変わらない評者は、一貫した一つの基準で俳壇を見ることが出来るが、マンネリズムに陥る恐れもある。
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 さて俳句雑誌ではない個人BLOGが結構時評機能を持ち、現在では種類も多いし影響力もある。問題は、熱しやすく醒めやすい若い人がやっているから永続性や、一貫性がないことである。こうした中で、平成二六年以来現在まで六年以上にわたり、大井恒行が「大井恒行の日日彼是」と題して時評を掲載している。特色は月評どころか、原則、毎日ないし隔日で、句集や雑誌記事の紹介をしているのである。六年間にわたるこうした記事の集積は、千件以上に上っていると思われる(一日で数件を紹介することもあるから数え違いではない)。私の二〇〇回でもとても叶わない。この記事執筆直前の直近一ヶ月間に掲載された句集などを挙げてみよう。

柿本多映『拾遺放光』、善野行『聖五月』、宮坂静生集『草魂(くさだま)』、高柳蕗子『青じゃ青じゃ』、持田叙子・髙柳克弘編『美しい日本語 荷風Ⅲ』、今井聖『九月の明るい坂』、宗近真一郎『詩は戦っている。誰もそれを知らない』、田村葉『風の素描』、篠崎央子『火の貌』、川越歌澄『キリンは森へ』、浜脇不如帰『はいくんろーる』、谷山花猿『資本』、田彰子『田さん』、伊藤敬子『千艸(ちぐさ)』、

 句集、歌集、評論集、詩集などであるが、実に多彩である。有名無名、ほとんどの人が知らない句集も取り上げられている。最新句集が多いが古い句集も交じる。原稿用紙にして四~八枚、二〇句以上を引用しているから、立派な時評である。
 この他に雑誌の特集、句会報、イベントの報告があるから私のような出無精な評論家にはまことにありがたい情報源になるのである。正直な話、俳壇の回顧記事や、数年前の俳壇の出来事を知りたいときに、この大井の日記を見れば間違いなく確認できる。特に大井の文体は生々しく、その当時の時代の雰囲気まで伝えてくれるのである。

BLOG批評の多彩さ   
 実はその源をたどれば、大井は平成二二~二六年に総合誌「俳句界」編集顧問をしており、編集長に代わり、編集事務の一つとしてこうした作業をしていたのである。自社、他社を問わずあらゆる句集を取り上げるという方針はその時から続けられている。いかにアンテナを広く広げているかが総合俳句雑誌の編集部の能力であるとすれば、こうしたものを発信するのは、雑誌や新聞の広告に勝るとも劣らない大事な仕事である。
 現在、総合雑誌の編集長・編集部員が、自誌の主張や特色を打ち出すため、BLOGを作成している例もあるが、長期に渡り品質を維持して時評を書くのは困難が多い。大井がそうした時評を維持できたのは、まぼろしの総合誌といわれる「俳句空間」(弘栄堂書店刊)の名編集長として、伝統から前衛まで、特定の主張にこだわることなく作家・評論家を取り上げ、編集し続けた実績があるからである。だから大井のBLOGの愛読者は今もって多いようである。
 (下略)

※詳しくは「俳句四季」11月号をお読み下さい。
                      


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