句集を読むときタイトルの由来になった句はひと際強く印象に残る。
日の没りし後のくれなゐ冬の山
句集の最後に置かれている掲句は、「冬の山」の存在感を十分に伝えている。「くれなゐ」という色は、作者の俳句への情熱を表わしているようだ。
さてあとがきによれば、この句集は「テーマを決めて章立て」したとある。ここでは、各章から私が注目した句を鑑賞したい。
橋くぐる船を見送る桜かな
作者は桜のそばにたたずみ、橋をくぐる船を眺めているのだろう。船と桜との間は相当の距離があるはずだ。掲句を絵にすることは可能だが、おそらくその絵はかなりの大きさになるに違いない。作者は、自分自身と桜とを重ねているようにも読める。
青嵐鯉一刀に切られけり
『雨月物語』の「夢応の鯉魚」を思い出した。鯉を中心に詠んでいるところがよい。読者は、「一刀に切られけり」の迫力に圧倒される。
かなぶんのまこと愛車にしたき色
かなぶんの光沢が余すところなく表現されている。「愛車」という言葉を使っていることから、作者はかなりの車好きに違いない。そういえば、かなぶんのような軽自動車を私は見た記憶がある。
桐筥に涼しく納め藩政誌
「涼しく納め」が言えそうで、なかなか言えない。「桐筥」に収められるほどの「藩政誌」はさぞ貴重な史料なのであろう。「桐筥」「涼しく」から、私は旧家の大きな畳の部屋を想像した。
一生に一茶二万句三光鳥
「一生」、「一茶」、「二万」、「三光鳥」と、数詞が巧みにかつリズミカルに用いられている。
掲句の軽快さは、一茶の口語を多用した句と共通している。この句を口ずさみながら、「一生に二万句」を目指したいものだ。
これつぽつちの本を並べて入学す
「甥を下宿させる」と前書がついている。「少なき」ではなく「これつぽつち」であるところが面白い。よほど本の数が少なかったのだろう。最近の学生は、本は買わずに図書館で済ませるのかもしれない。
落ちし蟻しばらく泳ぐ田圃かな
俳句で蟻といえば、地面を這う生き物として詠まれることが多い。
だが掲句は、水を泳いでいる蟻を詠んでいる。このように良い意味で読者の予想を裏切る句に出会うことは稀だ。
茶柱のやうに尺蠖立ち上がる
掲句を一度、読んでしまうと尺蠖が茶柱のようにしか見えなくなる。既成の物の見方を一気に変える句だ。茶柱と尺蠖、異質なものを結びつけた作者の手柄は大きい。
逢はぬ間に逢へなくなりぬ桐の花
友人、恩師、同僚、多くの人との出会いと別れが人生にはある。日常生活の忙しさに追われ、「逢はぬ間に逢へなくなりぬ」ことは多々ある。逢えなくなった人を思い淋しくなった時、桐の花を見つけたのだろう。
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