【宇宙との合一感】
光年の揺らぎの果てや春の虹
光年の果てに寒月返しけり
「家族も寝静まる夜更け過ぎ箱庭に様々な素材が群がります」と述べる作者の俳句の素材は日常生活の一齣から宇宙への思いに到るまで幅広く多彩であるが、取分優れた絵画や音楽に通底する宇宙との合一感に満ちた秀句が印象的である。
ミクロコスモスである人間とマクロコスモスの自然とが四季の循環律を底に持つ俳句を通して内的に結合している。儚い存在の象徴でもある虹を「光年の揺らぎの果て」と対比させた発見の妙に得心する。句集中に頻発する「夢」・「虹」・「光」に託した作者の思いが鳴動する宇宙と共振する。
【永遠に繋がる瞬間】
星よりの細き光を蜘蛛渡る
透徹した写生眼によって眼前の景から悠久の時空への思いが広がり、小さな生命を慈しむ作者の優しい心根に感銘する。人生は儚いがゆえに今この瞬間を大切にして生きる作者の態度が読み手に確りと伝わって来る。無常に流出する時間を人生にとって価値ある永遠のものに転化せしめるのが芸術であり、俳句もまた然りである。「夢」には将来への希望や願いが存在すると同時に儚さの象徴でもある。生死、聖俗、陰陽、善悪・・・すべからく対極が重層し併存する世界にあって人生における夢は永遠に繋がる。
太古より夢つづきをる白夜かな
【自同律の不快】
冬の日の歪むあたりを行かむとす
半円の冬の銀河を行かむとす
掲句に接して「自同律の不快」、即ち絶えず満たされぬ魂を持つ事が宇宙の原理であり自らの行動規範であるとする埴谷雄高の哲理を思った。「自同律の不快」から脱却するためにはクオンタム・リープ(不連続的な飛躍)が必要であり、左様な時空転位を成し遂げるためには常に自らの存在に対する疑義と変貌に向かう意思が肝要である。そうした意思を結晶させた俳句を挙げて見たい。
家族捨て魚になりたき寒夜かな
在ることのはかなき重さ遠花火
補助線を跨ぎこれより枯野人
端居てふ窮屈や世を踏み外す
身ぬちなる自分は他人桜餅
玉虫になると退職挨拶状
作者にとっての〈箱庭の夜〉とは社会的存在としての個人が群れから自己を取り戻すための思索の場なのであろう。日常生活で遭遇した様々なものを些事として無視するのではなく掛け替えのないものとして認識する事が作者の作句態度に通底している。
【鎮魂の誠】
作者自ら極私的なものとして位置付けている〈箱庭〉で想起された戦艦大和に関する三句は句集中で異彩を放っている。戦後七十五年が経過して、作者や私も含めて戦争を知らない世代にとって戦艦大和の悲愴な最期に到る連作は作者の反戦への意思の強さを物語る。
「水底の黄泉比良坂」の措辞は深い鎮魂の誠の証左である。
菊水を舷に涼月添ひにけり(四月七日出撃)
左舷より菊の御紋にわたくし風(豊後水道通過)
水底の黄泉比良坂月を待つ(鹿児島沖轟沈)
【闘病】
ステージⅢとてみつ豆の甘さかな
月天心アポトーシスの始まりぬ
ガン病棟へ寒一灯の力寄す
闘病の様子をモチーフとした俳句はご自身の事なのか、ご家族や友人なのかは別として読み手の心に鋭く刺さり込む。ガンの進行状態を示すステージⅢ、厳しい現実に直面したればこその蜜豆の甘さ。ガン遺伝子の増殖を抑制したり、アポトーシス(細胞死)を誘導するガン抑制遺伝子の研究が進んでいると聞く。中天高く輝く月の光に照らされてこそアポトーシスへの期待が高まるのであろう。更に「寒一灯」の凝縮された光はガンとの闘いを勇気付けてくれる。
【心象の淵への沈降】
〈箱庭の夜〉で只管思いに耽る作者の脳裏には現実から心象世界の淵へ沈降・転位する梯が明滅している。覚醒した幻想性ともいうべき繊細な感受性が光る。
花透くや母胎の中のうすあかり
寒月や羊水にたつ波の音
炎天や一人ひとつの影に佇つ
【スケルツォ】
〈箱庭〉での思索の時の流れに時折出現する軽やかで諧謔味に溢れた句もまた味わい深い。
老衰をひたすら思ふ海鼠かな
瑠璃天に海鼠は小言を云ふらしい
ジュースとは粉末でした夕すずみ
【凱風快晴】
季節感に溢れた爽やかな句に接すると樹海の先の赤富士と鰯雲を描いた葛飾北斎の名作「凱風快晴」から受ける感動にも似て晴れやかな気分になる。
葉脈に水の力や春キャベツ
あら塩は地中海産秋刀魚焼く
秋空へつづく白線引きにけり
「あとがき」で作者は「令和元年の節目に取りまとめた当句集は、平成における私的記録そのものであり、私にとって備忘録とも言えるものである」と記しているが、「箱庭の夜」には満たされぬ魂の持ち主である作者の常に対象と真摯に向き合う美意識が感知される。
【俳句新空間参加の皆様への告知】
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