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2020年6月26日金曜日

【読み切り】「青蛙まづは懺悔より頭垂れ」(池田澄子句集『此処』)  豊里友行

先ずは、私の懺悔から。
己の、この鈍感さを振り返る。
何かと池田澄子さんの俳句に、たびたび出会うたびに魅了されてきた。
Facebookでお友だちをしていただいているが、閲覧のみで中々、交流を持つほどの趣向の共通点は、なかった。
接点が欲しかった、というのが私の正直な気持ちだった。
大井恒行先生のブログ「日々彼是」で澄子さんの夫の池田龍夫著『時代観照ー福島・沖縄そして戦後70年へ』(社会評論社)が御紹介されているのを見て、これは、御縁だと私の早合点で、池田龍夫氏宛で辺野古の写真集を御贈りした・・・・。
句集『此処』を読み終えて愕然としている。
「後期」より。

 八歳の夏、かの戦争で父を奪われ、人は死ぬ、死は絶対であると知って以来、此の世の景の儚さを忘れることができない体質になったようだ。偶々人に生まれ多くの人に出会い、その先にある別れの怖ろしさに、一瞬の現象をも含め様々の出会いを深く意識し、別れを怖れる自分をも眺めながら生きてきたようだ。二〇〇一年に師が逝き同じ年に育ての父が、そして母、そして夫が逝った。逆縁は許さぬと夫々に申し付けてあるので、あとは自分の死だけである。
 自分の死は怖くない。


丁寧に生きるこの俳人を見習いたい。
私は、この俳人の覚悟など知るよしもなく此の世を右往左往しているのだろう。

あっ彼は此の世に居ないんだった葉ざくら

すみませんでした。
FBでのメッセージの写真集の返礼にも、私は、ドラム缶並みの鈍感さで気付かずにいた。

たいがいのことはひとごと秋の風
牡丹雪大人ですから黙ってます


たいがいの度を越して失礼していた昨日までの無神経な私にしょんぼりと反省しながら池田澄子俳句の心の機微の共鳴句をいただきます。
料理の俳句にも丁寧に生きる所作がうかがえる。

松過ぎの餃子の正しい包み方
心血の注ぎ疲れや千枚漬
湯に放つ刹那春菜のうれしそう
細切りの海苔を散らせばこぼれて春
啓蟄の稲荷寿司から紅生姜
わが死後の皿に汚れてパセリなど
ごーやーちゃんぷるーときどき人が泣く
雑煮用鶏を解凍しつつ寝る
饅頭に濃き焼印の端午かな
自ずから熟れて傷んで匂って桃
遠来の洋梨嗅いで供えて撮る
一月一日喪中の瓶詰のイクラ
切山椒いろとりどりや悲喜こもごも


私も池田澄子さんのように丁寧に生きて俳句を綴りたい。

よい風や人生の次は土筆がいい
桜さくら指輪は指に飽きたでしょ
きりたんぽいのちあるものさびしがり
決心はゆらぐし柚子は黄色さすし
ねぇあなた嗚呼どうしよう桜咲く
心配に濃淡のあり夕ざくら
次の世は雑木山にて芽吹きたし
偲ぶひと多くて困る青葉かな
生き了るときに春ならこの口紅


池田澄子さんの俳句魂は今なお、青葉である。
食が細いと俳句は呟いてったっけ。
食べて食べて俳句をもっともっともっと創造して欲しい。
これからも池田澄子さんには、長生きしてもらって池田澄子俳句に唸らせられつつ、私は私らしい俳句で丁寧に生きる姿勢を見習いたい。
ぜひ。句集『此処』(池田澄子)を御購入、御一読いただけると幸いです。

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