あとがきで秦自身が明かしているように、赤尾兜子主宰の「渦」で両氏は出会い、師亡き後、この超絶的共同制作をはじめたという。
「夕月譜」は約20センチ四方の一折り糸綴じの書物で、綴じ糸が本の背で結ばれ、ごく薄い不織布が遊び紙として用いられた典雅な外観をしている。
超絶的、とは用いられた折句等のルールの厳しさゆえに冠する言葉であるが、技法そのものも作品といえる点からすれば、あまり詳細に内容を記してしまうのは無粋なことであるかもしれない。この稿ではいくつかの作品の紹介を試みたい。
「月光泥梨――雨月物語抄」はタイトルどおり「雨月物語」を題材とした13句。1句目は頭文字、2句目は頭から二字目、というように「月」の文字(そこのみゴチック書体が使用されている)が一句に1文字読み込まれ、13句全体で左下がりのたすき掛け状に並ぶ趣向となっている。「弓張月化鳥をまねく魔道かな」(「白峰」)「湖底にもあをき月射す夢の鯉」(「夢応の鯉魚」)「修羅関白殿風雅に月の宴かな」(「仏法僧」)など、「雨月物語」の各話を明確に下敷きとしながら、それぞれの句に必須の「月」は有機的に詠み込まれ、統一された世界観、緊張感のなかに夢幻の「月」を浮かび上がらせている。
「定家曼荼羅」は31句の俳句に、藤原定家の新古今和歌集収録歌「春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空」を句の頭に、「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」を句の掉尾に読み込んだ沓冠の連作。「春の夜の~」は1句目から、「見渡せば~」は31句目からスタートしている。つまり、それぞれの句の最初と最後の音はあらかじめ組み合わせが決まった状態で作句していったことになる。5句目と8句目は頭も掉尾も「の」である。5句目が「呪はしき綺語の華咲く紫野」、8句目が「野火の香の紅旗征戎化野(あだしの)の」。23句目と24句目はいずれも先頭が「る」、掉尾が「も」である(23句「類鳥の遥かに遠き羽撃きも」24句「累世を歌よむ家の哀れやも」)。制約の厳しさもさることながら、艶然たる語彙と古語によって紡がれた退廃的な世界が、定家の本義を異界から照射するような、奇観ともいうべき景色を見せている。
ほか、芭蕉の「白芥子に羽もぐ蝶の形見哉」と雪月花を詠み込んだ「乱蝶――好色五人女」(この連作が集中最も難易度の高い超絶技巧を見せている)、杜牧の「山行」の折句「妖妃伝」など、めくるめく言語世界が閉じ込められたこの一冊は、しかし「どの句をどちらがつくっていたのか、完全に思い出せなくなっている」と藤原はあとがきにしたためている。「これは当時の秦夕美と藤原月彦の言葉に対する美意識が、一ミリのずれもなく一致していたことの証左だろう。」(同あとがきより)。互いの詩的世界が一致し、渾然一体となってしまう、そのような経験があるということに、驚きと同時に幾分かの羨望を抱く。
言語遊戯的技巧は今日の言語表現—とくに短詩—の領域において、関心を持たれづらくなっているのではないか、と筆者は感じている。言葉の扱い方の巧緻より、直截な物言いであること、卑近な素材であること、とっつきやすいことなどが尊ばれているようにも感じる。
しかし言語による表現が「伝わる」ことを目的の一に数えるのだとしたら、そこに技巧は不可欠なものに違いない。技巧が言語のためにのみ発揮されるようなこれら作品の軌跡も、言語表現の豊穣の一角を確かに担い、醸成しているはずだ。
天上の遊戯ともいえるこれら作品が作られた奇蹟があったこと、それをふたつ後の元号となった今、一冊の書物として手に取れるのは実に喜ばしいことだ。言葉の奥義に触れたいという欲望のある向きには一読をお薦めしたい。
夕月譜(ふらんす堂)2019年11月11日刊
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