ふけさんの句は、いつも裏切られつつ裏切られない。予想を超える面白さで裏切られ、読めば必ず面白いという点で裏切られない。
虻の眼のきれいな緑休暇果つ
馬の眼に映つた順に寒くなる
猫の眼草杉の暗さに目を開き
春昼のひんやりとある眼の模型
台風も布目も少しづつ逸れる
羊や山羊はいつも眠たそうな表情をしているように私の目には見えて、本当に眠たいのか実はしゃっきっとしているのか判断がつかないのだが、この句集は眠たくない。むしろ目を覚まされる、見開かされる気分だ。
そんなことを考えていたからか(?)眼(目)を詠んだ句が目に付いた。1句目、「きれいな」という形容詞がさらりと使われ、十分楽しんだであろう休暇の時間の煌めきが思われる。2句目は一転、しんしんとした静けさの中に或る種の怖れが迫ってくる。3句目は植物の中に動物的な感覚を見出した生々しい繊細さが魅力。動植物にとりわけ詳しい作者ならではの句だろう。4句目の明るさの中に感知する無機物の持つ冷たさ、5句目の思わず「あるある」と言いたくなる可笑しさなど多彩だ。
秋の蚊の大きな縞を着てゐたり
黒蟻の死よ首折つて腰折つて
刻かけて蛇が呑むもの三室戸寺
嘴の痕ある椿ひらきけり
生きものの生きている姿も死んでいる姿もそれらが同時にある姿も淡々としながら生き生きとしている。
萍の陣や背鰭に割り込まれ
どこかの池で鯉などが萍の間を縫って泳ぐ場面だろうが、萍主体のクローズアップで詠まれて接触の密度が濃くユーモラスな気配も漂う。
雨の字に雫が四つレモン切る
囀りの散つて隅々まで青空
早春を雲もタオルも飛びたがる
木の芽寒箸を入れれば濁るもの
消印の地をまだ知らず青葉騒
しまなみ海道レモンゼリーへ寄り道す
動植物を仔細に観察するふけさんの目は、日常生活においてはどこかふわっと見るセンサーも働くようで、明るさを伴う肯定感は読んでいて軽やかに背中を押される心地になる。
「消印」の句は、これから知るかもしれない地への期待を思わせつつはっきりとはしない永めの時間を内包している。それは未来へのかがやくばかりの祈りが感じられる、とても簡単な言葉で書かれた次の句にも表れているように思う。
春の水とはこどもの手待つてゐる
杉山久子です。
返信削除引用した句
消印の地をまだ知らず青葉風
の季語を間違って転記しておりました。
正しくは「青葉騒」です。
消印の地をまだ知らず青葉騒
申し訳ありません。
訂正してお詫びいたします。
杉山さま
削除コメントありがとうございます。
本文を訂正させていただきました。