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2020年1月24日金曜日

【新連載】英国Haiku便り(3) 小野裕三


俳句と翻訳
 機会があって、自分の俳句を翻訳してみようと思い立った。ネットの翻訳サイトも援用しつつ、まずは自分で英訳し、その上で、あるイギリス人に添削してもらうこことにした。
 彼に一時間ほどの時間をもらい、50句の自作の英訳を差し出す。一読して、「紅葉且つ散る王家ほどの明るさ」「鳥籠に夜の位置あり魂迎」などの句は好きだと言ってくれた。だが、何かが物足りないようでもある。聞いてみると、理由のひとつはそもそも英訳された俳句が575のリズムではないからのようだ。それは日本語の意味から直訳された英語だから仕方ない、と説明すると、「それはわかるけど、それにしても短すぎるのがあるよ」と言う。例えば、「ギリシア人夜の魚を食べにけり」の英訳「Greeks ate night fish」は、英語ではたったの4音節。17音には程遠い。日本語と英語の語彙の違いに加えて、「にけり」といった俳句独特の意味の希薄な言い回しが背景にあるのだろう。
 そんなことを考えていると、彼が突然、「これ、日本語で読んでみてくれないかな?」と言う。そこで、日本語で順番に句を読み上げていく。すると彼は、「いいね。意味はわからないけど、日本語の音楽性を感じるよ」と満足そうだ。へえ、と思い「じゃあ、日本語の発音をアルファベットで併記したほうがいいですか?」と聞くと、「そのほうがいい」との答え。確かに、イギリスで買ったHaikuの本にも、そんな表記が付いていた。それは、イギリスの人たちが詩の音楽性を重視するからなのか。逆に考えてみればわかるが、例えばイェーツの詩の日本語訳に、英語の発音がカタカナですべて併記してある、なんてことは絶対にない。イギリス人は詩の朗読を愛し、それに聞き入ることを愛する。たとえ異国語であっても、Haikuの音楽性に彼らは耳を澄ませようとするのか。
 一方で、彼にまったく受け入れられない句もあった。特に、「桃の花どすんと眠る高校生」といったオノマトペの句。日本語の特質とも言える多様なオノマトペは、それぞれに微妙なニュアンスや感情の襞のようなものを含み、これを正確に英訳するのは難しい。もちろん、詩の持つニュアンスや文化的背景を翻訳で伝えることに伴う困難さは、オノマトペだけに限らない一般的な課題だろう。
 だが、そんな言葉の壁を超えて、何かが伝わる時もある。ある機会に、日本の有名な俳人たちの句の英訳を、イギリスに来ているいろんな国の人たちに紹介したことがある。虚子と井泉水と三鬼の句をそれぞれ並べて、イタリア人の若者に聞いたところ、虚子の句がとてもいいと言ってイタリア語訳してくれた。イタリア人に虚子が受けるのか、とちょっと感動した。「彼一語我一語秋深みかも」という句である。
(『海原』2019年3月号より転載)

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