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2018年7月27日金曜日

【抜粋】〈「俳句四季」8月号〉俳壇観測187/速報!朝日俳壇新選者高山れおな――最年少俳壇選者から見る新しい俳句 筑紫磐井

●高山れおなのプロフィル
 現在、新聞俳壇で最も大きな権威となっているのは朝日俳壇であろう。歴代の選者は、虚子・誓子、人間探求派の草田男・楸邨・波郷が務めてきたから、殆ど現代俳句史そのものといってもよかった。現在は、稲畑汀子、大串章、長谷川櫂が務めている。四人目は金子兜太であったが、この二月になくなっているので、その後継選者について大きな関心が集まっていた。特に、新聞俳壇において金子兜太はただひとりの前衛系の選者であったからだ。そしてこの七月から、兜太に代わって高山れおなが就任することとなった。これに伴い、たった一人の四〇代の新聞俳壇選者が登場したことになる。これは、戦後生まれ作家(長谷川櫂、小澤實等)を通り過ぎて、新世代の魁となるものであった。とはいえ、高山のプロフィルは余りにも知られていない。ここで簡単に紹介することにしたい。
 高山れおな(一九六八年生まれ)は結社を知らない俳人である。総合雑誌「俳句空間」(大井恒行編集長)の投稿欄に早稲田大学の学生時代に応募したのが始まりで、その後攝津幸彦の「豈」に入会した。一時期「豈」の編集長を務めている。
 高山の名を一躍高からしめたのは、二〇〇九年、筑紫磐井・対馬康子と共編で『新撰21』(邑書林)を刊行し、新しい若手人材を発掘したことである。当時、若手俳人は多く結社に逼塞し自由な活躍の場がなかったが、この選集、及びこれに引き続く『超新撰21』(邑書林)により一気に俳壇で光を浴びることとなったのである。現在殆どの総合雑誌が結社の主宰者よりは新人に豊富なページを提供しているのはこうした契機によるものである。パトロンによる資金の確保から、結社を超えた人材の発掘まで、高山がいなければ今日の若手時代は存在しなかったに違いない。
 実はこれに先立って、「豈」同人中村安伸とBLOG雑誌『―俳句空間―豈weekly』を二年間にわたって運営している。百号で打ち切ったのは潔いし、かつその記事の半ばを自ら執筆し、至るところで論戦を繰り広げた。BLOG時代の立役者といってよいであろう。特に俳句ではなく、評論・論争のためのBLOGであったことも大きな特色であった。また『豈weekly』を通じて、『新撰21』の資金確保もここで実現したから、常に長期的な経営視野を持っていた作家――むしろプロデューサーであったことになる。
 その後「豈」のほかに自ら雑誌も創刊した。若手俳人に大きな反響を与えた「Ku+(プラス)」がそれであり、これも非常に戦闘的な雑誌であり、既存の俳壇を震撼させようという意図に溢れていた。『新撰21』『超新撰21』で登場した若手、その後の後続世代が参加したが、やや息切れをして雑誌としては二号で終刊した。 「芸術新潮」の副編集長を務めており、公職との並立が少し苦しくなってきたのかも知れない。なぜなら、『豈weekly』と同様、殆ど自分が中心となって、企画編集をしていたからだ。
 これほどの活躍をしながらも、角川書店の最新版「俳句年鑑」の主要俳人の活躍を取り上げた「年代別二〇一七年の収穫」の四二八名の中には高山を上げていない。俳壇主流派から疎外されていたという意味で、金子兜太によく似ているように思う。
(中略)
 近く、藤原書店より雑誌「兜太TOTA」が創刊され、多くの人に開かれた創刊記念シンポジウム(有楽町朝日ホール九月二五日)が開催されるが、これに引続き、金子兜太追悼と新しい朝日俳壇選者を迎えて「兜太と未来のための研究フォーラム」(仮)が一一月一七日(土)開催される予定である(入場無料、場所は未定【注】)。パネラーには若手俳人を招致し行われるところから多くの若手の入場を期待している。
【注】津田塾大学千駄ケ谷キャンパス
※詳しくは「俳句四季」8月号をお読み下さい。

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