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2017年9月22日金曜日
【抜粋】〈「俳句四季」10月号〉俳壇観測177/隠された芭蕉のこころを探る ――矢島渚男と高浜虚子は芭蕉をどう読む 筑紫磐井
●矢島渚男『新解釈『おくの細道』――隠されていた芭蕉のこころ』(二〇一七年四月角川書店刊)
日本の文学史で『源氏物語』に匹敵する傑作とされる『おくの細道』には奇跡のような事態が今現われている。『源氏物語』は平安時代の物語だから資料が発見されると言っても限度があるが、江戸時代の『おくの細道』にはとんでもない資料が今も続々と見つかっている。それもいずれも芭蕉の真筆であり、制作過程が時々刻々と浮かび上がる次第なのだ。①最終稿(曽良本)、②再稿(野坡本)、③初稿(野坡本の貼紙の下の原稿)と新しい資料が平成になって見つかっている。もちろんこれらは学者の手にかかれば、面白い論文としてどこかの学会でひっそりと発表されることだろう。まだ「文学史の問題」なのだ。
ところが、俳句実作者の手によって全体を鳥瞰されるようになると、単なる学者の好奇心にとどまらない、「文学の問題」となるのである。それが、矢島渚男『新解釈『おくの細道』なのである。
すべての章節を、①最終稿(曽良本)原文、②口語訳、③語釈、④詞文(同想の俳文)、⑤文の初稿からの推敲、⑥俳句の初稿からの推敲、⑦考察・感想に分けて解説している。どれも面白いが、⑥俳句の初稿からの推敲は、芭蕉の俳句制作の息づかいが伝わってきて、誠に役に立つ。及ばぬながら我々も芭蕉の推敲を追体験できるのである。
草の戸も住かはる世や雛の家(初案)
草の戸も住替る代ぞ雛の家
*
鮎の子の何を行衛にのぼり船(初案)
鮎の子の白魚送る別かな(二案)
行春や鳥啼魚の目は泪
もし後者の「行春や」の句の推敲が正しいとすれば、初案は栃木県黒羽の句であり、一方「行春や」の句は千住で詠んだことになっているから、時空を超越して詠み出されたことになる。千住の「行春や」の句は、黒羽以降に詠まれたことになるわけだ。こうした時空超越は、この本の推敲過程を見ると、頻繁に行われていることが伺える。良い言葉・美しい言葉はどこで使ってもいいのだ。
しかし一番面白いのは、自由自在に想像を巡らしたり、やや独断的に結論を提示する「⑦考察・感想」だ。例えば、「室の八島」では曽良の考証癖にうんざりする芭蕉の態度をシナリオ風に書いて見せたり、「殺生石」では芭蕉のいかなる書簡や文書を見てもおくの細道に言及していない不思議から故郷の身内にまず見せる記録だったのではないかと推測したり、「平泉」では〈夏草や兵共〉の句から武士に対して意外に冷徹であった芭蕉の態度があったことを言及する。「象潟(二)」ではおくの細道で芭蕉が目指したのは「善知鳥啼く外ヶ浜」であったろうと推測する。また、「立石寺」では〈閑かさや〉の句を「紀行中随一の佳句」といった山本健吉を非難するが、「越後路」では〈荒海や〉の句を出色の句とし、前後の一切の文章を省略することにより際だたせているという志田義秀の説に賛成している。やはりこうした本で面白いのは、学者的な考証部分よりは、著者の想像が存分に働いたところなのである。
著者の矢島渚男は石田波郷、加藤楸邨に師事し、郷里の長野県で「梟」を主宰。俳人研究では、まず『白雄の秀句』『白雄の系譜』と地元の加舎白雄から始まり、蕪村研究で知られ、芭蕉に立ち至ったわけである。
(下略)
※詳しくは「俳句四季」10月号をご覧ください。
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