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2017年5月26日金曜日
第66号 あとがき
BLOG俳句新空間も順緒に更新が進み始めているようだ。画像の処理が心もとないので雑誌の広告は中止していたが、そろそろ開始したい。見本代わりに、最新刊の拙著(『季語は生きている』)を掲げさせていただいた。失敗してもあまり迷惑をかけないからである。
そうこうしているうちに、あっという間にいろいろな事件が起こっている。
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熊谷市で開かれた海程の全国大会(5月20日)で、金子兜太が主宰する「海程」を兜太が99歳を迎える来年9月での終刊を決めたと発表したそうだ。年齢を重ねるにつれ、主宰が担うべき役割の限界が近づいている由、今上天皇の退位の発言に似たものを感じる。ただ、主宰を離れることで、より自分にこだわった生き方をしたいといっているから、現役を引退するわけではないようだ。
「海程」は昭和37年同人誌として創刊、後に兜太の主宰誌となったが、終始中心には兜太がいたわけで、兜太の肉体の限界は「海程」の限界でもあるのだろう。1年間の猶予期間は、この間の同人会員の動向を見定めるためであるようだ。
考えてみるとこの話題を私が俳句新空間で取り上げたのは、昨年4月22日の記事で、武田の次のような編集後記を引用したことから始まる。
○「海程」4月号編集後記
「海程」の内外で、〈近いうちに海程はなくなる〉という噂が流れているという。事の発端は、1月の東京例会で、金子主宰が「白寿で海程主宰を辞する」と述べた、新年の挨拶にあるらしい。金子主宰も誤った風評に驚いて、2月の例会では「白寿で主宰の座からは下りるが、海程は存続する」とのご意向を示すとともに、早とちりや誤解の元となるような情報は発しないよう注意があった。5月の全国大会では、海程の今後についての指針が示されると思うので、惑うことのないようにして欲しい。(武田伸一)
結局は、ここに書いているとおりで進み始めたわけである。噂はまったくのうわさではなかったわけだ。
ただ、これで兜太が大人しくなるとも思われない。ホトトギスの選者を息子の年尾に譲り、ますます元気になった高浜虚子の例もある。実際、名著『虚子俳話』は引退してからの仕事である。虚子は倒れる寸前まで、これを綴り続けていた。まあ、ライフワークを完成するためのエネルギーの再配分だと考えればよいのかもしれない。
とはいえ、この平成の終わりに時代を画する事件がいろいろとあることは感慨を禁じ得ない。平成の終了とともに、中村草田男の創刊した「萬緑」と兜太の「海程」が終了するとは、予想もできないことであった。
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時代の終わりを感じさせる事件がもう一つあった。東アジア反日武装戦線「狼」部隊のメンバー大道寺将司が、この5月24日午前、東京拘置所で病死した。大道寺は、昭和49年8月30日、8人の死亡者を出した三菱重工爆破事件の主犯として逮捕され、死刑判決を受けていたが、ここ数年がんを患っていたという。
この年は私が社会人となった年であり、丸の内界隈は多少縁ができ始めたときであったから、衝撃であった。その少し前、昭和46年の新宿クリスマスツリー爆弾事件は大学生の時代であり、かつ場所も新宿追分派出所前であったからもっと身近であったが、こちらは死者はいなかった。この事件は死者が大量に出、それも被害者が大企業のエリート社員たちであったということで、テロの性格が大きく変わった事件であると感じられた。
しかし、もっと驚いたのは、数年前、大道寺が収監中に俳句を始め、出口善子の雑誌「六曜」の同人となり、句集をまとめたと聞いたことである。句集『棺一基』は、日本一行詩大賞の俳句部門を受賞したという。
「六曜」の最新号(46号)に作品は見えなかったが、その前の秋の句は、「癌囚」と題されている、まさしく病にむしばまれている句であった。
死者たちも見しをちかたの粧ふ山
霧深き海にかそけく骨を撒け
夜着重く骨の軋みし霧襖
日本一行詩大賞の受賞の彼の言葉は、次の通りであった。
「私の句はいまだ狭小な世界のとばぐちに立つばかりですが、時間の許す限り、今後も句作を続けてまいります。」
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