またもう一つ、これに似た遊戯を当時、自分は発明していました。それは、対義語(アントニム)の当てっこでした。黒のアント(対義語(アントニムの)略)は、白。けれども、白のアントは、赤。赤のアントは、黒。
「花のアントは?」
(太宰治『人間失格』)
今週の土曜日、大阪で「短歌チョップ」という短歌の大きなイベントがありますが、おもしろいなと思ったのがこの「短歌チョップ」というネーミングです。
「短歌チョップ」というネーミングのおもしろさは、「短歌」と「チョップ」の組み合わせ、この「短歌」と「チョップ」という言葉同士が相容れないところにあると思うんですよね。たとえばこれが「短歌ミュージック」だったら〈歌〉という共通のくくりが見いだせるわけですが、「短歌」と「チョップ」はなかなかくくりをみいだせないどころか、お互いがお互いを解体しあうような関係になっています。
たとえばだれでも人生で一度くらいはチョップをしたことがあると思いますが、チョップって手刀のことですからてのひらをまっすぐにして五本の指が直立している状態ですよね。ところが短歌ってよく指をおってつくったりすることもあるように、〈指を折る文芸〉なんですよね、とりあえずは。「短歌チョップ」ということばにおいては、〈指を折る文芸〉と〈指を折らない打撃技〉が出会ったことになります。
だから、「短歌チョップ」ということばに出会ったときに、あれ、「短歌」のイメージってじぶんが今かんがえているような短歌のイメージでよかったんだっけ、でもチョップのイメージってなかったよなあ、そもそも短歌ってなんだったっけ、となる。
だから、チョップは何に対して繰り出されているかというと、短歌というジャンルそのものに繰り出されている。短歌というジャンルってなんだっけということを考えさせるものとしてチョップは機能している。
このときにわたしが思ったのは、短歌の反対語ってチョップなんじゃないかと思ったんです。短歌の対義語ってなんですか、ときかれたら、チョップと答えよう、と。
太宰治の『人間失格』に主人公が罪の反対語(アント)を考えるシーンがあります。罪の反対語を考えることで罪とは何かを模索するのです。
「しかし、牢屋にいれられる事だけが罪じゃないんだ。罪のアントがわかれば、罪の実体もつかめるような気がするんだけど、……神、……救い、……愛、……光、……しかし、神にはサタンというアントがあるし、救いのアントは苦悩だろうし、愛には憎しみ、光には闇というアントがあり、善には悪、罪と祈り、罪と悔い、罪と告白、罪と、……嗚呼、みんなシノニムだ、罪の対語は何だ」
「ツミの対語は、ミツさ。蜜の如く甘しだ。腹がへったなあ。何か食うものを持って来いよ」
「君が持って来たらいいじゃないか!」
ほとんど生れてはじめてと言っていいくらいの、烈しい怒りの声が出ました。
(太宰治『人間失格』)
たぶん罪の反対語はチョップなんですが、この場面で大事なのは、主人公が罪の反対語を結局手に入れられなかったことです。罪の反対語としてどんな言葉を考えても同義語(シノニム)になってしまう。反対語が手に入れられないということは、「罪」を解体できるチャンスがなくなるということです。どんな発想も「罪」に回収されていってしまう。
ところが友人は「罪」にとらわれていないためさっさと抜け出してしまいます。「ツミ」の反対語は「ミツ」と言葉遊びでいえたのは、友人が罪にとらわれていないからです。このときその言葉遊びにたいして「烈しい怒りの声」をもっている主人公はやはり「罪」にとらわれています。とらわれているからこそ、「罪」そのものを問い直すチャンスがない。くりかえしますが、罪の反対語は、チョップです。
ところでこの短詩に身体技をくっつける〈名付け〉は興味深い事例として短詩においてときどきみられます。たとえば、去年刊行された小津夜景さんの句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂、2016年)がそうでしょう(花とカンフー)。この夜景さんの句集では、B級的な身体の愉しみが俳句のなかにとても嬉しそうに描かれています(夜景さんの俳句のひとつのダイナミズムとしてB級文化の密輸があるように思います)。
ぬつ殺しあつて死合はせ委員会 小津夜景
向き合うてやがて両手の円運動 〃
仁★義★礼★智★信★厳★勇★怪鳥音 〃
また歌人・川柳作家の飯島章友さんは川柳を読むサイトとして『川柳スープレックス』という共同ブログをたちあげられました。これは川柳とジャーマン・スープレックスというプロレスの投げ技がくっついています(ちなみに小津夜景さんと飯島章友さんの格闘技と短詩をめぐる対談が『週刊俳句』に掲載されています。「【新春対談】〈身体vs文体〉のバックドロップ 格闘技と短詩型文学/小津夜景✕飯島章友」)。『川柳スープレックス』の巻頭言として飯島さんが書かれた言葉。
最後にブログの名称にもなっているスープレックスについてお話します。
スープレックスとは「後ろから相手の胴をクラッチして反り投げ、ブリッジで固めるもの」で、レスリング系の投げ技です。
スープレックスとは「後ろから相手の胴をクラッチして反り投げ、ブリッジで固めるもの」で、レスリング系の投げ技です。
当ブログもスープレックスという技のように、川柳界における「読み」の停滞を引っくり返していければと思います。
(飯島章友「川柳スープレックスについて」『川柳スープレックス』)
短歌とチョップ、俳句とカンフー、川柳とプロレス。
なぜ短詩はそんなにも闘おうとしているのか。
思い出してみれば、短歌だけでなく短詩にも目配りを行き届かせた短歌誌『短歌ヴァーサス』も対人格闘的な響きがありました。ひとつの考えとして、短詩というジャンルは、たえず自身のジャンルを自己言及的に問い直しつづけるジャンルだから、というものがあるように思います。だから、自身からすごく離れた、まるで反対語のような存在とときどきあえて癒着する。そのときにそのジャンルそのものにいったいなにが起こるのかを吟味する。チョップし、拳をたたきこみ、スープレックスをかける。
でも、『人間失格』の大庭葉蔵がみせてくれた事例のようにそのうちに、短歌のシノニムはチョップになり、俳句のシノニムはカンフーになり、川柳のシノニムはプロレスになるかもしれません。
2003年1月、「あたらしい川柳誌をつくろう」という意気込みのもと、『バックストローク』という現代川柳誌が刊行されました。発行人は石部明さん、編集人は畑美樹さん、協力に石田柊馬さん、樋口由紀子さんが名を連ねています。
バックストロークというのは〈背泳ぎ〉という意味で、やはりここにも泳法という身体技法があらわれていますが、『バックストローク』創刊号の「後記」において畑美樹さんがこんなふうに書かれています。
「やめられないとまらない」川柳を、楽しい凶器のように玩具のように抱えている人たちが、こんなにもいる。動きつづけたい、と思った。
『バックストローク』は、倉本朝世さん命名。背泳というのは確かな意志を持って全身を動かさなければ、進みたい方向へたどりつくことはできないという。それぞれの確かな意志、やめられないとまらない意志。
(畑美樹「後記」『バックストローク』創刊号、2003年1月)
畑さんは川柳を「楽しい凶器」と書きました。だからこそ「動く」んだ、と。これは〈チョップ〉にもつながる考え方だとおもいます。ジャンルに凶器性・玩具性をもちこむことで、ジャンルを再考しながら、動かしていく。
短歌チョップのテーマは「語ろう」なのだそうなのですが(たしか前回の短歌チョップは「出会おう」だったとおもいます)、どちらもチョップをするときのように〈前に進むこと〉〈動くこと〉〈つながること〉が象徴的にあらわれています。こんどぜひチョップをしてみてください。前に進んで、動いて、つながります。ひとと。チョップをする機会なんてそういえば、人生でそうそうないです。ひとはいつチョップするのか。
ところで、『人間失格』の主人公・大庭葉蔵は最後、眠剤と間違えて下剤を飲んでしまい、下痢のまま、どこへも行けなくなってしまいます。象徴的にどこへも行けなくなってしまいます。そして有名なこのシーン。
いまは自分には、幸福も不幸もありません。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。
(太宰治『人間失格』)
葉蔵には畑さんが書いた〈動く意志〉とはまったく逆の事態が起こっています。下痢で寝ている葉蔵はどこにもゆけないまま「いっさいは過ぎていきます」。葉蔵以外のすべての世界が動く。葉蔵は動けないけれど。ただいっさいは過ぎてゆく。葉蔵をおいて。年齢も身体も葉蔵をおいていく。読者もこの本を、もう、終える。読者も葉蔵をおいていく。
このとき葉蔵に必要だったのは、みずから動くこと、動かざるをえない身体技法、それは、チョップであり、カンフーであり、ジャーマン・スープレックスでありバックストロークではなかったかと、おもうのです。
チョップから読む『人間失格』。チョップから書く短詩感想文。チョップから始めてチョップで終わる(たぶん)世界ではじめての春チョップの時評。
ぐちゃぐちゃといたるところに十指あり 樋口由紀子
(『バックストローク』創刊号、2003年1月)
ぐちゃぐちゃといたるところに十指あり 樋口由紀子
(『バックストローク』創刊号、2003年1月)
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