【俳句新空間参加の皆様への告知】

【ピックアップ】

2017年2月24日金曜日

<抜粋「俳句四季」3月号>はがき俳信・ミニ雑誌の面白さ   ――――大雑誌もミニ雑誌から 筑紫磐井



毎月百冊以上の雑誌を頂いているが、今回は、ちょっと変わったミニ雑誌――葉書一枚からなる「はがき俳信」を紹介してみたい。筆者の手元には現在次のようなはがきの俳信が来ている。多分総発行部数も五〇部から百部ぐらいであろう。本誌の読者には滅多に見ることの出来ない俳信だ。

●清水青風「one-man俳誌 流 ryu」

毎号俳句六句と二五〇字程度のミニエッセイで構成されている。発行人は廣瀬直人の「白露」に所属していたが、「白露」終刊後、系列の結社雑誌には属さないでこの「流」だけで活動しているようだ。平成二四年一二月創刊で、ほぼ月刊、二九年一月でちょうど五〇号となった。発行人は百号まで続ける予定といっている。記事には、発行人在住の岐阜の地域性ある話題と、飯田龍太や雲母の話が多い。むしろ、地域と雲母が渾然一体となっているところが雲母系作家らしいところである。何かの折に「私の俳壇は雲母である」と書いていて微笑ましく思ったことがある。雲母以外は俳壇と認めないのかも知れない。
妻留守の十二時打てば木枯しす
人は灯を麓に連ね年迎ふ

●ふけとしこ「ほたる通信Ⅱ」

毎号俳句六句と四〇〇字弱のミニエッセイで構成されている。発行人は、「船団」「椋」にも所属し、このはがき俳信だけで活動しているわけではないらしい。平成二四年八月創刊で、ほぼ月刊、二九年一月で五三号となるから、「流」よりほんの少し古い。ただ、発行人はその前に「ホタル通信」という個人誌を発行していたというからミニ個人誌歴は長いようだ。「流」と違って、身辺の話題が多く、季語について触れることもあるが直接俳句については述べていない。むしろ身辺にある思想を紡ぐという趣がある。
冬が来てパジャマの袖が長すぎて  
セーターの脱がれて走り出す形

●山内将史「山猫定期便」

前二者と違い自作・他作の一句を掲げて三〇〇字程度のミニエッセイを載せる。発行人は永田耕衣の「琴座」に属していたが、その後は特段雑誌に所属していることはないようだ。そして、取り上げる句もいわゆる伝統系の俳句でないものが多いのはこれまた前二者と異なる。実はこの定期便には前身があり、平成二年夏創刊の「山猫郵便」が二四〇余回続いて、現在標記のはがき俳信となって第三号である。二六年とは、恐らく史上最長のはがき俳信であろう。

女教師や肛門かゆく秋のわれ 宮入聖 
木犀の金の兵隊銀の裸婦   宮入聖

大きな結社誌・同人誌と違って、俳句年鑑に取り上げられることもなく、新聞・雑誌の月評に登場することもなく、酬われることも少ない。たった一人で、自己負担のみで営々と発行し五年、一〇年と継続しているのは頭が下がるものがある。もちろんこうしたはがき俳信を出している人たちはまだ何人かいるらしい。継続性という点からみても、機会があれば紹介してみたい。
(下略)

※詳しくは「俳句四季」3月号をお読み下さい。

【エッセイ】
ふけとしこ『ヨットと横顔』(2017年2月創風社出版刊)を読む
                   筑紫磐井

「俳句四季」〈俳壇観測〉で「はがき俳信」としてふけとしこ「ほたる通信Ⅱ」をとりあげたら、掲載直前にふけとしこ『ヨットと横顔(俳句とエッセイ)』が届いた。「ほたる通信Ⅱ」と重なっている記事はないのだが、ミニエッセイと俳句で構成されている内容は両者よく似ている。ここで併せて紹介したい。
そもそも、「俳句新空間」でお世話になっている割りにはふけとしこの俳歴もよく知らなかった。新しい本で確認すると、市村究一郎に師事し、「カリヨン」入会、俳壇賞を受賞し、現在「船団の会」と「椋」に所属しているそうであるが、句集や句文集が多いのには驚いた。余り知らなかったのはお互いの環境に原因があるようだ。
市村究一郎は「馬酔木」に所属していたが、昭和59年の歴史的分裂騒動の時、「馬酔木」本体(発行人水原春郎、選者杉山岳陽)から堀口星眠、大島民郎らが分派し「橡」を創刊したとき「橡」に移籍している。私は橋本栄治など残留派の人と親しかったので、「馬酔木」本体の人たちとのつきあいは殖えたが、「橡」との関係は比較的冷淡であった。ただ、馬酔木時代の市村究一郎の作品は読んでいたし、「橡」に移って後には編集を担当し活躍していたことは知っていた。だからどういう事情であったのか、さらに「橡」を退会し、「カリヨン」を創刊するという経緯は不審さが残った。ふけとしこは市村が「カリヨン」創刊前から師事していたと言うから、或いはその辺りの事情を知っているかも知れないが私は余り関心はない。私自身、その後、結社の離合集散と愛憎の激しさは幾つかの例で知っていたし、余りそうしたモノに関与しないで済んだことは幸福だったと思っている。
ただこの本の履歴には載っていないことがある。BLOG俳句新空間で、現在「平成アーカイブとその鑑賞」で「街」を論じているが、「街」のある号にふけとしこという名前や句集特集を見つけて驚いている。当時のふけにもいろいろ揺れる思いもあったのかも知れない。俳人には、様々な巡り会いがあるということだ。そして、俳句雑誌という記録媒体は、たやすくそうした歴史を確認できるということでもある。
   *   *
『ヨットと横顔』を飛び飛びに読んでみる。
「ストロンチウム90」は時期がらだけにてっきり福島原発のことかとおもったが、どうもそれ以前の文章らしい。ビキニ水爆の話から始まり、放射能の恐ろしさより、それを被曝状況を検証するため、乳歯の保存を活用するという実験があったらしいというのが話題で、これも面白い。
「あんぽんたん」では自作の歴史をたどるが、動詞が3つも入っていた時代、それが船団に入って何でもありでどんどん散文化している、と述べているのは納得できる。いい俳句を作ろうと方針もなく足掻くより、自作の歴史をたどる方がよほど上達のためには重要かも知れない。
「秋山小兵衛」は、池波正太郎の『剣客商売』の主人公だが、シリーズ最後の秋山小兵衛の老残の寂しさを考えている。しかし、私より4つ年上のふけとしこの心境は何か身につまされるものがある。
「ホタル」は、実はホタルは可愛がっていた猫の名前だったという落ち。「ほたる通信Ⅱ」はそこから名づけられたのかも知れない。ちなみに、このホタルは2004年新年号に写真が載ったというが、我が家の愛猫ガッチャンは週刊文春2007年1月4日号及び石田郷子監修『猫帖』(ふらんす堂)の2番目に登場している。
「蒲公英」は自宅の一本のタンポポの観察記録。日付、状況、茎長を丹念に記録する。何が面白いのか分からないのが面白い。
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思うに文章は「起承転結」が必要だと言われているが、それは論理をたどろうとするからだろう。俳人の文章は「起承転」だけでよいと思う。「結」は読者が勝手に自分の頭の中で補うからだ。「ほたる通信Ⅱ」もそうだし、『ヨットと横顔』もそうだが、みじかい分だけ、「結」を削ってしまって良い。これは更に短い俳句について、一層言えることだ。俳人ふけとしこは「起承転」の名手だと思う。

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