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2015年10月30日金曜日

「芸術から俳句へ」(仮屋、筑紫そして…) その2 …筑紫磐井・仮屋賢一 



3.筑紫磐井から仮屋賢一へ(仮屋賢一←筑紫磐井)
the letter rom Bansei Tsukushi to Kenichi Kariya

①私の掲げた3句が好きでないと言うこと、至極もっともと思います。そういう回答が来るだろう事を予想して掲げたからです。なぜ、こんなまだるっこしい例のあげ方をしたかといえば、実はこの3句は「海程」秩父俳句道場で金子兜太の特選となっているからです。これを最後にいってちょっと驚いてもらおうと思っていたからです。

別に兜太の選がすべて正しいと言うつもりはありません。実際当日の句会で私はこれらの句を1句もとっていません。たしか、参加した関悦史も北川美美もとっていなかったと思います。仮屋さんの評価に近いというべきでしょう。しかしだからといって兜太の選が間違っているかと言えばそうでもないと思います。むしろ、ここから俳句というものの本質を考えるヒントが生まれるように思うからです。

物事には表があれば裏もあるわけですから、それを一緒に考えておく方が間違いが少ないと思います。例えば「俳句というものの美しさがそこに無いように思える」が仮屋さんのそれの裏の考え方だと思います。どちらかといえば、関悦史も北川美美も、そして私もそれに近いように思います。こうした考え方に対して、(残念ながら具体的な例句をあげられませんでしたが)兜太は月並みだ、どこかですでに何回も詠まれた句だ、と批判していたように思います。

議論の枠組みを確認するために取り出した例なので、ここでは余り厳密に議論する必要はありませんが、こうした対立があることだけは先ず了解しておいた方がいいと思うのです。

②ここにあげた3句は、かってそう呼ばれた「社会性俳句」に近いと思います。金子兜太や「海程」の人たちは、今もってそうした俳句にこだわっていると、冷淡に見ている人も多いはずです。
ただ、かって「海程」以外の人も同様の句を平気で作っていました。

師走の灯資本が掘らす穴の丈    沢木欣一『塩田』 
雉子歩む傍若無人凶作地 
毛布すりきれ戦後十年弥縫的 
基地化後の嬰児か汗に泣きのけぞり 能村登四郎『合掌部落』 
露の日輪戸に立つ母郷死守の旗  
一瞬胸せまりたり悴む顔の囚衣群(習志野刑務所)

実に「美しくない」と思います。余りに露骨すぎます。欣一も登四郎も、その後こうした俳句の詠み方から抜け出したのは賢明と思えるでしょう。しかし、賢明であったはずの彼らが一時的ではあれ、なぜこの時代にあってはこうした句を作っていたかが不思議です。まるで、「俳句は美しくあってはならない」というのが彼らの命題であったかのようです。そして、「俳句は美しくあってはならない」というのが本当に間違いかどうかは、よく考えてみなければなりません。

③実は、こうした1955年頃の社会性俳句が60年後の今日間違っていたとすれば、仮屋さんが現在感じている「俳句は美しくなければならない」も、更に60年後の2075年に誤っている可能性もあるわけです。屁理屈を言っているように聞こえるかも知れませんが、私が言いたいのは1955年頃圧倒的多数の俳人が、俳句はかくあらねばならないと考えていた理由を知らないで批判することは、現在のみを持って正しいとする傲慢な過ちとなり、2075年に批判される原因となっていることではないかということです。

その意味で、欣一も登四郎も兜太も余りに社会性俳句にのめり込みすぎていましたから、冷静な考え方を残していません。ここでこの少し前の石田波郷の考え方に耳を傾けてみましょう。余程俳句固有派であり、古典派に近い波郷ですが彼でさえこんなことを言っています。

「(能村登四郎、藤田湘子をはじめ新人の作品を読んで)、先づその迫力の弱く、読みつつも読者たる僕があまり作者の方へひきよせられないのに不満である。自然を詠はうと社会を表はさうと、そこには常に作者の描き出す「新しい一つの世界」がなければならない。混沌と苦渋の現代に我々が生きてゐる以上、俳句に我々が望むのははげしい自然讃仰か、真摯にして混沌を制する底の生活、人間の現はれである。日常生活に起伏する日常的主観も、之を活かしてわれわれの生き方を示すものでありたいと思ふ。馬酔木の新人諸氏の最近の労作もさういふ方向に向つてゐるものと期待して眺めてゐる。然し実際には主観の脈が浅い皮膚の下に浮いて、よはい、言葉の按配や、知的にも説明的な主観叙述におちいつてゐる。」
(馬酔木昭和二四年八月)

大仰な言葉に驚くでしょう。何を波郷はこんなに焦っているのでしょうか。波郷ほどの指導者ならばもっとゆったりと構えて、美しい傑作を詠ませればいいではないですか。しかし、波郷は馬酔木の端正な美意識に浸ることをよしとしなかったのです。とりわけ能村登四郎には過剰に干渉し、「ぬばたまの黒飴さはに良寛忌」などという美的な世界(秋桜子的美意識といえるでしょう)を捨てさせ、『咀嚼音』の「長靴に腰埋め野分の老教師」のような教師生活の哀歓を詠ませるようにしたのです。その後、社会性俳句に登四郎が一気にのめりこんでしまうのも無理のない指導でした。

    *     *

この原因を探っておくべきでしょう。私は、桑原武夫の「第二芸術」が原因だと思っています。俳句が「第二芸術」だと呼ばれたことに発奮したというのではありません、俳句では現代が詠めないと言われたことに衝撃を受けたのです。現代俳句という言葉は戦前からありましたがある価値観を持って使われたのは戦後、それも「第二芸術」以後だと思います。桑原の「第二芸術」はご丁寧にも「―現代俳句について―」と副題がついていました。そして「第二芸術」以後、熱病のように俳壇に「現代俳句」が流行し出しました。戦後の俳人のあつまりは「現代俳句協会」と名付けられました、こうした動きに一番批判的な山本健吉さえ俳句に関する初めての著書に『現代俳句』と名づけました。そして、桑原の言った「現代俳句」を一番皮相的に理解すると、<「現代俳句」=現代社会を詠む俳句>ということになるでしょう。現代俳句でなければ江戸音曲と同じ第二芸術の道を選ぶしかないと皆が確信したのです。これこそが社会性俳句の始まりだと思います。社会性俳句は、「第二芸術」に始まっているのです。

そしてこれが丸々間違っていたかというと私もそうだという確信がありません。短歌も詩も、こうした桑原武夫の道をある程度たどって進んだと言えるでしょう。俳句だけが置いてきぼりを食らっているのです。もちろん、俳句はその独自の固有性を主張して構いません。しかし、どこか後ろめたい思いもあるのは否めません。



④もう少し別の考え方をたどってみましょう。

高濱虚子の俳句を詠む姿勢は非常にはっきりしていました。一生涯変わることのないものでした。

「季を優位せしむることは伝統俳句の身上である。人間性、社会性に重きを置くことは季と優位を争うことになる。勢い俳句でないものを産むことになる」(「虚子俳話」)

したがって、例えば、俳句で地震については詠むべきではない、ということになります。これは東日本大震災でも、阪神大震災のことではありません。関東大震災のことです。この主張に従って虚子は関東大震災の句を詠みませんでしたし、ホトトギスにもそういう句は掲載させない方針でした(たまたま、東京市長永田青嵐の震災句が載ったのは写生文の付録だったからです)。

永年、虚子のこの科白をぎゃふんと言わせる言葉がほしいと思っていました。しかし俳人の書いたどれを読んでも饒舌で説明的で、余り胸を打つ言葉がありません。さんざん探した挙げ句、全然別ジャンルで、次のような言葉にであいました。これは、イタリアにおけるヴェリズモ(リアリズム文芸運動)で使われる標語ですが、虚子に対比させるのに、私が知る限り最適の言葉であると思います。これほど虚子を的確に否定している言葉は思いつきませんでした。

 「芸術家にとっての原則とは、芸術家もまた人間であり、その人間たちのために芸術家は書くべきであるということなのだ」(ルッジェーロ・レオンカヴァッロ)

 季語等、人間にとってどうでもいいことなのです。いや、人間があってこそ、それに対する第二義、第三義の風景として季語があるばかりなのではないでしょうか。そして、ここに俳句は美しくあってはならないの考えの原点を見るのです。

 もちろんこの考え方に与しない人はたくさんいるでしょうが、おそらく生身を持つ人間としてどちらが正しいかと問われれば、私はレオンカヴァッロの方にやや軍配を上げざるを得ないだろうと思います。それは、まさしく、私たちが「生身」を持っているからです。生まれた後、入学・卒業・恋愛・結婚・ことによると自殺未遂・ことによると覚醒剤による逮捕・就職・中傷・昇進・左遷・(親・妻・子との)死別・離婚・子供の独立・ことによると破産・リストラ・親の介護、とお決まりのコースをたどった挙げ句(多分仮屋さんの生涯の大半がこれであげられると思いますが)、老い、病み、死んでゆく存在として考えた場合、「人間たちのために芸術家は書くべきである」、という発想はより普遍的だと思います。虚子の考えは、ごく限られた時代、生活、職業、趣味においてのみ普遍性を持つものでしかないと言えそうです。もちろんだからといて虚子のそれを否定はしません。しかし、虚子の思想を地球の津々浦々、あらゆる芸術にまで拡大するのはやめてほしいものです。


⑤さてここまで、長い仕掛けをしてきたのはここでやっと仮屋さんの音楽に近づいたかな、と思ったからです。いうまでもなくレオンカヴァッロは音楽家であり、オペラ「道化師」で有名です。この科白もその中で出てくるものです。といっても、私自身は、同じ運動を展開したマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」しか見ていません。つまらないオペラがこんな面白いのかと唯一感動した作品です(まあ、音楽にはそれくらい私は迂遠だと思ってください。仮屋さんには縁なき衆生です)。ヴェリズモ運動の最大の成功作であり、「人間たちのための芸術」はなるほどこんなものかと納得したのです。もっと別の結論の運び方があるはずでこんな落ちとしまって恐縮ですが、要は「俳句は美しくあってはならない」も一つの思想(成功しているかどうかは別として)ではあるように思うのですが如何でしょうか。


(以上はご質問の前半への回答です。ただ余りに長くなって疲れてきたのでここら辺で今回は打ち切ります。もしつづきが書けるようでしたら次回続けましょう)


4.仮屋賢一から筑紫磐井へ(筑紫磐井←仮屋賢一)
the Letter from Kenichi Kariya  to Bansei Tsukushi 

筑紫さま

仮屋です。大変お待たせしてしまい、誠に申し訳ありませんでした。

>「俳句は美しくあってはならない」も一つの思想(成功しているかどうかは別として)ではあるように思うのですが如何でしょうか。

今回はこれの自分なりの答えを探すことに費やそうと思います。

まず、俳句が藝術であるのかどうか。いきなり大きすぎる話題ですみません。結論から言うと、俳句は藝術だと思いますし、藝術でなければならないという考えなのですが、それを主張するには、そもそも僕にとって藝術とは何かというところから始めなければなりません。

藝術とは何か。

藝術であるための条件として、まずは、それが人間の積極的な営為によって生み出されたものであることが必要だと思います。

手つかずの自然、鬱蒼と茂る木々の中に堂々と落ちる滝は、藝術的な美しさを持っていたとしても、それ自体は藝術ではありません。ただ、それを何らかの形で表現したものは、藝術と呼ばれ得るでしょう。人間というフィルタを通す必要があるのです。

また、うっかり中身をバラまいてしまった絵の具や、落として割ってしまったお皿。人間の営為の結果ではあるのですが、これだけでは藝術と呼べません。人間がこれを藝術だと捉えて(=人間の積極的な営為)こそ、はじめて藝術となり得るのです。

つまり、作者不在の藝術は存在し得ず、藝術は必ず作者の存在する作品でなければならないのです。


次に、感情的な部分で他者に作用し得るということ。そして、そういう狙いをもって作者が制作したものであること。

そういう意味で藝術は意図的なものです。また、理性的なことばで語り尽くせてしまう感動は、真に感情的な部分の感動ではないといえます。なかなかそこの判別をすることは難しいのは事実ですが。少なくとも、どんなことばでも言い表すことのできないもの、というものは藝術には存在し得るはずです。

さきほどから、「〜し得る」と可能性でしかお話ししていない部分があるのですが、藝術は普遍的である必要がないと思っているからです。

作曲家、アルノルト・シェーンベルクのことばに、「もしも藝術ならそれは万人のためのもではなく、もしも万人のためのものならそれは藝術ではない」ということばがあります。(とはいえ、彼のほかのことばを見るに、藝術は独りよがりであっていいなどとは全く思っていないようです。)

極論をいえば、藝術は自分以外のたった一人だけを真に感動させる(ここでの感動は、心に何らかの作用を与えた、くらいの意味です。決して大げさなものではありません)ためだけのものであってもよいのです。狙ったその人が感動するかどうかは別にして。狙いとは別の他の人が感動したっていい。

ただ、自分の作品のうちの感動ではある必要があるます。ある画家が、誰かのために絵を描いた。その様子を見て、周囲が心打たれた。これは、絵画作品に対する感動ではなく、行為に対する感動で、また別物です。ここの峻別はしっかりしておかねばなりません。

これだけの条件をみたしていれば、僕の中ではまず、藝術と呼んで良いと思っております。いろいろ書いていますが、案外、藝術と呼べるものの範疇は大きいでしょう。こういう意味で、俳句もまた、藝術なのです。第二藝術と呼ばれようと、関係はありません。僕の中では「第二藝術⊂藝術」なのですから。

さて、俳句は藝術です。そして、もう一つ。俳句は、藝術それ以上でも以下でもありません。
その前に、誤解があってはいけないのですが、「藝術は他の誰かのために作られるものでなくてはならない」ということではありません。とはいえ、いくら他人を排除したとしても、大きな意味でどこかに「自分のため」という部分は残るでしょうから、そういう意味では「藝術は人間(たち)のため」ということになるのだろうとは思います。

僕の藝術の定義、どこにも「美しさ」という概念はでてきません。「俳句は美しくなくてはならない」は、俳句の定義でもアイデンティティでもなんでもないのです。では、「俳句は美しくなくてはならない」とはなにか。それは、単に個人がそういう立ち位置にいるだけのことです。それが常識的な認識になっているのだとしたら、多数派であるのか、影響力のある人がそう言っただけであるのかのどちらかでしょう。俳句は美しくなくてよいのです。藝術は美しくなくてもよいのですから、当然です。だとしたら、「俳句は美しくあってはならない」というのも十分認められるべき立場でしょう。これは、僕が個人的に認める・認めないというのとは全く別問題であることはお分かりいただけると思います。

そもそも、この世界、美しくないものは、淘汰されがちです。俳句も、美しいから生き延びているのでしょう。だからといって、美しくないものを積極的に排除する必要はない。そんなことは自然に任せればよいのです。自然の摂理に抗うことは、人間に与えられた権利なのではないでしょうか。ただ、安直な反抗というだけでは、特に面白いものでもないのですが。

人間、藝術にはどこか安心を求めてしまっている嫌いがあるのかもしれません。ただでさえ、この社会、不安でいっぱいなのに、藝術にまでその不安を不安のままで持ち込みたくないと思ってしまうのは当然のことでしょう。だから駆逐されがちなのかもしれませんが、それは人間が勝手に藝術にそれを求めているだけのことであって、藝術がすなわちそういうものであるということにはならないのではないでしょうか。

……と、俳句について書いているようなつもりで、実は「そういう曲があったな」と思いながら書いているのであります。音楽と俳句は、形式のまるで違うものですから、表現できるものも全く異なるものでしょう。忌避されがちなそれらの表現、音楽はうまく作品として体をなしていると思うのですが、それほどの力が、俳句にはあるのでしょうか。純粋な、疑問です。

1 件のコメント:

  1. 悪貨は良貨を駆逐する、という言葉はご存知でしょうか。この場合、良貨は美しくないんでしょうかね。

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