3】(承前) 続き
その句のただしい意味は、「海しじみ汁」だったのだろうか。
前回の文章の末尾に紹介した
絶筆 平成二十九年二月十九日。
うす味の東海道の海しじみ汁 悟朗
(うつしまちがっている。「薄味」→「うす味」である。おわびします)。
のことであるが、「東海道の海」でとれた「しじみ汁」なのか、はたまた東海道のどこかで味わった「海しじみ汁」かがよくわからなくて、しばらく頭に残っていた。
もっとも私の固定観念として、シジミは淡水産の貝、「海しじみ汁」なんてない、と思い込んでいた。
ふだん関西に出回っているのは、ほとんどが琵琶湖のセタシジミとか宍道湖でとれるシジミ(ヤマトシジミ)などで、それは日本に出回ってシジミ貝のうち九〇%を占めるヤマトシジミといわれる種類だろう。(ちかごろ「タイワンシジミ」も出ているそうである。)
それで、私は、浅蜊やは蛤は海のものだが、蜆は淡水産の貝だと思い込んでいた。しかし、じっさい宍道湖のヤマトシジミは薄く海水の混じった淡水に生息することから、東京湾の海の近くの河口で採れたものを、慣用的に「海しじみ」というのかもしれない、と、前号続きのこれを書くときに改めて思った。
それから、これもあやふやなネット検索で得た知識なのであるが、魚屋では場合によってはじっさいに「海しじみ」など言われて店頭に出ていることもあるらしい。それが、旅行中の東海道(関東)で食したりした場合に、とくに強調されて、「東海道の」「海しじみ汁」となったのかもしれない。大体、関西はうす味、関東のおつゆは濃い味であるが、故人もそういうことが思い込みにあり、この「うす味」は どの言葉にかかるのか、その解釈よっては、読む側にいろんな思いを喚起してくる。
また、こう書かれると、私はなんだかゆったりタイムスリップして昔の旅人のように、松林をゆき富士山と海の見える東海道五十三次の道中の道中を思いうかべるのであった、最後の句であるかどうかはかかわりなく、人間って味に対する好みが、こんな時期に出るものだな、と思ったのである。
たしかめたわけではないから、作者がこれをどういう心境の場面で食されたのか、あの世でご本人かに聞いてみないとわからない。そのことがいいとも悪いとも書かれていない。
が、ともかく、そのしじみ汁の味加減は、ふだん好んで食された味付けとは少しちがっていたのだろう。とにかく、このようにして病床に食を味わいながら、和田悟朗逝かれたのである。
三島由紀夫が亡くなった時の辞世の歌について、「辞世というのは下手でいいのだ」、と誰かが言ったそうである。というぼんやりした記憶があるのだ。
俳句に入ったころは、忌日俳句とか辞世の句というのは、偽善的な気がしてとても嫌だった。風来二十号に〈ひとときの太古の焔お水取り・悟朗〉というのがあって、私には時期的に「最後の句」として印象づけられている。しかし全句集から外されてしまった。「風来」という俳句グループとの交流の存在そのものが、ほかならぬ俳人和田悟朗の絶筆なのかもしれない。
が、「うす味」の句は、厳密いいって「句」ではなく巧拙を超越した呟きである、とうけとめて、そのことを感じ取ればいいのであろう。
そのように、俳人の死もただそのように受け止めるほかはない。
4】 『シリーズ自句自解Ⅱベス100 和田悟朗』
(二〇一五年十月十日・ふらんす堂)
和田悟朗の最後の自作の著書が出た。これが本当に、悟朗自筆の意志のこもった「最後の句集」だろう。
自選句集は、すでに、『舎密祭』(平成十五年三月三十一日・梅里書房)があり、以後の『人間律』から全句集ない収録未完句集『疾走』までの、
第九句集『人間律』(二〇〇五年・ふらんす堂)
第十句集『風車』(二〇一二年・角川書店)
第十一句集(二〇一五年・全句集収録未完句集『疾走』)
からの抜粋である。
和田悟朗については、この自選句集二冊を読めば、何を残したいか、どう読んで欲しいかということがわかる。
本体の内容のことは後述するとして、次のことだけを押さえておきたい。
《付記》は二〇一五年二月十九日。
《私の作句法》については、「体調がすぐれず口述筆記」とある。
さらに夫人の添え書きとして、「口述筆記に依る文書の完成をまたずに和田悟朗は逝去、云々。二〇一五年五月二十五日。和田アイ子」とある。
『自句自解シリーズ』のこれは 二〇一五年十月十日。
例の絶筆が二月十九日と同じ日であるから、刊行予定の全句集以前にすでに、誰だどうかかわったのかということを抜きにして、ご本人の中で自分の死後の自画像が完成しているのである。
そういう感慨に浸る俳人としての時間と、「しじみ汁」の味がうすいと感じているその感覚の時間と、それを書き留めた時間(これも、口述であろう)。命絶えるまで、人の心に流れる関心は、幾筋か入り乱れている。
その時の「和田悟朗」の意識の位置は私には不明であるが、自句集を仕上げることがその使命感であった。なにか慄然とする。
そんなことを、想像しながら和田悟朗の残した言葉を読みほぐしながら、書きながらその作家像を考え私のなかで作り上げて行ってみたい、そんな気がしてきた。
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