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2015年7月24日金曜日

【俳句とサブカルチャー】獄門島と天空の城ラピュタ-横溝正史と宮崎駿とわたしたちがいっしょに叫んだ、「バルス!!」-  柳本々々



* 今回の文章は横溝正史『獄門島』の〈ネタバレ〉を含んでいます。

「気が……気が、気がちがっている!」 
耕助はゲタゲタととめどもなくわらい出した。腹をかかえてわらいころげた。泪があふれて頬をつたったが、それでも笑いやめなかった。 
「気が……キが、……そうだ、たしかにちがっている。ああ、おれはなんというバカだったろう」 
花子の殺された直後のこと、梅の古木のほとりに立って了然さんの呟いた言葉。
「気ちがいじゃがしかたがない」 
あの言葉の真の意味に、耕助はそのときはじめて気がついたのである。 

  (横溝正史『横溝正史自選集2 獄門島』出版芸術社、2007年、p.238)

昭和六年私はそれまで勤めていた博文館退社を決意したとき、背水の陣をしくつもりで、なけなしの金を掻き集めて吉祥寺に家を建てた。そのとき友人相寄り相集まり、家具類を寄贈してくれたが、そのなかに二つ折りの枕屏風があった。全面に江戸時代の俳諧書をバラしたものが貼りつけてあり、そのうえに右に一枚、左に二枚俳句を書いた色紙が貼りつけてあった。私はそれを疎開先まで持っていって、枕もとの風よけに使っていたのだが、よし、これでいこう、この俳句のとおり殺人が起こることにしよう。
そこまで考えるとあとはわりとスラスラであった。 

  (横溝正史「「獄門島」懐古Ⅱ(「真説金田一耕助・41」毎日新聞・日曜くらぶ、昭和52年6月19日)」、引用は同上から、p.297)

私、他にも沢山おまじないを教わったわ。ものさがしや病気をなおすのや絶対使っちゃいけない言葉だってあるの。…亡びのまじない。いいまじないに力を与えるには悪い言葉も知らなければいけないって…でも決して使うなって。おそわった時、こわくてねむれなかった… 

  (宮崎駿『スタジオジブリ絵コンテ全集2 天空の城ラピュタ』徳間書店、2001年、p.442-3)

横溝正史『獄門島』(1947)のなかで、金田一耕助は俳句に出会うのですが、この「獄門島」の殺人事件では、〈俳句〉がとても重要な位置を占めています。というよりも、この殺人事件の犯罪者は、松尾芭蕉であり、宝井基角であり、俳句なのです。なぜなら、この事件では、俳句さえなければ、おそらくその〈殺人〉の意志は伝承されえなかっただろうと思われるからです。

かんたんにいうと、こうです。ある明確な殺意をもった人物がいる。でも、じぶんのからだはもう病にむしばまれていて、殺人が実行できない。しかし、殺意としての遺志は芭蕉と基角の俳句に託して色紙としてのこして逝くので、おまえたちわたしの望みをかなえてくれ、と。わすれるなよ、と。

そして獄門島では、つぎつぎと俳句に見立てられた殺人が起こるのです。俳句がまるで殺人の設計書でもあるかのように。

鶯の身をさかさまに初音かな  基角 
むざんやな冑(かぶと)の下のきりぎりす  芭蕉 
一つ家に遊女も寝たり萩と月  芭蕉

ここで少し考えてみたいのは、なぜ〈俳句〉で殺意を伝承する必要があるのかということです。たとえば、殺人の計画書や、メモ書き、あるいは短歌や詩でもいいじゃないかと。

まずこの殺意を残したひと(嘉右衛門)と継承したひとたち(和尚・村長・漢方医)の間で「運座」をしていたことが小説からはわかります。俳句の句会をしていた。殺意を俳句でのこしたひとと、そののこされた俳句から殺人を実行したひとたちで句会をやっていた。こうした俳句的共同体として結びついていたというのがひとつあるとおもうんです。俳句的言語で通い合うものがあったということです。

俳句的言語で犯罪者たちが〈殺意〉を継承すること。

これらみっつの俳句には、どこにも〈殺せ〉とは書かれていません。死体を逆さ吊りにしろとも、死体を鐘のなかに入れろとも、死体のうえに萩の花をまけ、とも書いていない。だからたとえばわたしがこの俳句を託されて、わしの殺意の志をわすれるな、といわれたら、〈読み込〉まなければなりません。いや、そのとき「嘉右衛門」が説明してくれた委細を(小説では殺人実行のための委細な説明のあとでこの色紙を渡されたとあるので)思い出さなければなりません。つまり、そうした事細かな殺人の説明書きが〈圧縮〉された装置がこの『獄門島』においては〈俳句〉になっているのです。

これはいわば、こういうことではないでしょうか。殺人としての遺志が俳句というメディアを介して伝えられたそのしゅんかんに、この犯罪者たちだけの〈俳句解釈共同体〉ができたのではないかと。この「獄門島」はそもそもがこの島の呪縛にとらえられてしまうような〈島〉をめぐる閉鎖された共同体なのですが、それとは別に〈俳句〉というメディアだけの〈俳句解釈共同体〉があった。しかもそれは殺人の遺志を残したものの、〈殺意〉の〈詠み込み/読み込み〉としてのこの島だけの、この犯罪者たちだけの〈解釈共同体〉だった。

それはある意味、海というメディアで切り離された封建的な因習の残る「島」として共同体から疎外されつつも、それでも「獄門・島」とそれをポジ/ネガティブにラベリングして共同体として生きるように、芭蕉や基角の俳句解釈共同体から疎外されながらも、犯罪者たちだけの〈殺意の俳句解釈共同体〉として生きるということです。疎外は、あたらしい共同体形成の契機にもなっている。そもそも「獄門島」とはその名のとおり、〈獄門〉という疎外を共同体生成のきっかけとして生き直す〈島〉なのではないかとおもうのです。

ただの殺人の説明書きではなく、〈俳句〉というメディアを系譜することで、〈わたし〉の殺人は、〈われ・われ〉の殺人になります。嘉右衛門の殺意とともに託されたみっつの俳句は、みっつの殺人を犯す和尚・村長・漢方医のそれぞれの〈わたし〉の殺人を〈わたし・たちの殺人〉という〈横の殺人〉に変え、そして時を越えて継承した嘉右衛門からの〈わしの殺人〉と和尚らの〈わたしの殺人〉をつなぐ〈わたし・たちの殺人〉としての〈縦の殺人〉にもなります。

ただの説明書きでは分断されてしまう殺人が〈俳句〉というメディアを通すことによって縦と横に〈共同体化された殺人〉になる。

そしてもうひとつ大事なのが俳句を媒介することによって、主体はいつも不在になることです。この『獄門島』では、「この島のちからがいつのまにかわたしにそうさせた」という〈呪われた島〉という超越的審級が〈受け身的言述〉によって強調されますが、まるでわたしがやったこと・かんがえたことなのにそれが〈島〉のせいになるかのように、殺人にあっても殺人の主体は、殺意を俳句に詠み込み・のこした嘉右衛門でも、殺意を記憶し読み出し・実行した和尚・村長・漢方医でもなく、〈殺意〉の指令としての審級は、つねに〈俳句〉になるのです。〈俳句〉がなければ、殺人は、なかったかもしれないのですから(そもそも〈俳句〉がなければこの『獄門島』も書かれ〈え〉なかったように)。

嘉右衛門がわたしに殺しをさせる、というかたちでも、わたしたちの連帯がわたしに殺しをさせる、でもなく、あくまで〈俳句〉がわたしに殺人をさせる。〈俳句〉がそこにあったから、〈俳句〉がわたしたちをみていたから、〈俳句〉は忘れられないメディアだから、わたしたちにたえず殺意を呼びかけ、殺人を使嗾(しそう)する。

ここでこうした短いことばと破滅というケースをめぐって、少し視点を変えてみたいと思います。『獄門島』においては〈俳句〉が「亡びのまじない」になっていましたが、そうしたきわめて短いフレーズが「亡びのまじない」として伝承されていた作品があります。宮崎駿『天空の城ラピュタ』(1986)です。
 
「亡びのまじない」を「おばあさんに教わった」シータは、「いいまじないに力を与えるには悪い言葉も知らなければいけないって…でも決して使うなって」とパズーに話します。この亡びのまじない「バルス!!」はその後ツイッターというメディアを介してとても有名になり、さかんにつぶやかれるようになりました。

この「バルス!!」のひとことで、ムスカもラピュタもほろびるのですが、大事なことは、いざというときに、手間がかからない記憶の圧縮性と破壊性です。この「バルス!!」ということばが流行った理由には、ひとつめにその記憶のしやすさ、唱えやすさ、ふたつめに、その記憶のしやすさと引き替えの絶大なる破壊性という暴力のエコノミーがあったはずです。ここには『獄門島』にもみられたような、記憶のしやすさと圧縮された破壊力のインパクトがあります。そしてその「バルス!!」だけで連帯できる共同体生成力も。

かんたんに想起することができるほろびのまじない。極端に短いが、しかし超越的暴力性を秘めたもの。『獄門島』と『天空の城ラピュタ』における、破壊力の伝承。

どちらも破壊はあくまで〈ことば〉が行うものであり、みずからが主体的に行うものではないという構造があります。わたしがそれをほろぼすのは、《たまたま》わたしがそれを覚えていたからにすぎない。そしてそのことばには「破壊せよ」や「殺せ」という〈意味性〉が入っていないことも大事だとおもいます。なぜなら、もしそのような意味性がはいっていては、それはわたしが「破壊する」主体、「殺す」主体になってしまうからです。あくまでわたしは「バルス」の主体、「俳句」の主体でなければならないのです。殺人者、破壊者ではなくて。ことばを想起する、しかしそのことばの意味の主体からは疎外された、ただ想起するだけの受け身の主体でなければならない。

だからじつは、『獄門島』をあらためていまかんがえれば、俳句《が》メディアになって殺人をおかしていたというよりも、むしろ犯罪者たちじしんが俳句《の》メディアとなっていたのではないかとおもうのです。メディアになっていたのは俳句ではなく、犯罪者たちのほうだった。犯罪者たちだけが俳句と殺意を詠み込み・読み出すことができるメディアだった。シータだけが「バルス」を詠み込み・読み出すことができるメディアだった。そしてその島での、城での出来事を知った〈わたしたち〉も「バルス!!」と唱えながらその解釈共同体に参与することになった。記憶するメディアに、想起するメディアに、実行するメディアに、しかし主体から疎外されるメディアに。

『獄門島』/『天空の城ラピュタ』とは、その意味で、〈場所〉がタイトルにならざるをえないのだとおもいます。主体はあくまで〈わたしたち〉ではなく、わたしたちに、嘉右衛門に、和尚に、シータに、ムスカに働きかける「獄門島」や「ラピュタ」にあるからです。わたしたちはただ破壊の伝承をとおすメディアであるしかない。

だからわたしたちはただただ実直に「島」や「城」のメディアとなり、破壊者になれないことも殺人者になれないことも知りながら、こう呟くしかないのです。

「バルス!!」と。

落ちてきた君は重たし星月夜  佐々木貴子 

   (佐々木貴子『ユリウス』現代俳句協会、2013年)

1 件のコメント:

  1. 悪魔の手毬歌犬神家の一族はじめ横溝正史の見立て殺人ものでは俳句に限らず概ねそういう構図になってます。
    その上で真の破壊者は実行者ではなく背後にいる支配的悪意とされてますね。

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