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2014年6月20日金曜日

「我が時代――戦後俳句の私的風景」4./ 筑紫磐井

十時海彦(2)

遡るが、十時海彦の活躍を見ておこう。「沖」では昭和46年から「俳句コンクール」と題して、公募作品を募集した。十時は早くもその第2回(47年)で入賞している。全15句を掲げてみよう。

第二回俳句コンクール 入選三位

     愛虫抄    十時海彦 
でで虫や父はギリシャの海ゆくころ  
昼寝覚蝶の羽音を聞きし如し 
くしゃみすれば幽かに灯る螢籠 
燃え上がる火蛾の総身透くばかり 
あめつちの一点に持す唖の蟬  
天道虫ねむるや天の七つ星 
黄金虫胸に脚抱き死を夢む 
窮すれば羽持ちて逃ぐ油虫 
子蟷螂己が影にさへ斧を挙ぐ 
でで虫の殻膨らます海の音 
でで虫の渦に潮騒吸はれつぐ 
夕かなかな我が胸腔は響き易く  
旅の果てに見しは破船と浜昼顔 
夜を泳ぐ首から下は玻璃となり 
夕月や朝(あした)に撒きし山羊を呼ぶ

十時海彦(とときうみひこ)略歴
本名 玉井日出夫
昭和二十三年九月、松山に生まる。東京大学生。四十三年、小佐田哲男助教授の「作句ゼミ」に参加、俳句の手ほどきを受ける。四十六年六月号より「沖」に投句。現在、東大学生俳句会員。
第1句から第12句は虫を、この作者らしいテーマ詠だが、全体に題詠っぽい趣が強い。「燃え上がる火蛾の総身透くばかり」は火蛾の解説のようであるし、「子蟷螂己が影にさへ斧を挙ぐ」は蟷螂の題を与えられればこのような句は生まれそうである。しかし詠みぶりが若々しいのと、写生俳句に食傷していた昭和40年代後半の新しい俳句雑誌としては新鮮な感じを与えたのだろう。元々沖は理屈っぽいから(その理由は前々回述べた通りである)違和感は少なかったのかも知れない。

そんな中でも次の3句は題詠であるにしても、飛躍があり、その飛躍が新しい叙情を産んでいるようである。

でで虫や父はギリシャの海ゆくころ  
あめつちの一点に持す唖の蟬  
夕かなかな我が胸腔は響き易く 

第13句から第15句は、虫の句が種切れになったのか虫以外の素材であるが、却って自然な詠みぶりで好感が持てる。写実の背景に若い情感が漂っているように見えるのである。

旅の果てに見しは破船と浜昼顔 
夕月や朝(あした)に撒きし山羊を呼ぶ

このコンクールの応募総数は不明であるが、十時の他には大屋と大関が応募している。能村登四郎や林翔が期待している程、若手たちは熱していなかったようにも思える。なお、大屋もテーマ俳句で応募しているから、日常詠での勝負は若い世代に取ってみると苦手だったようだ。

十時は、その後評論にも活発に挑戦し、受賞直後は長編評論「理念型としての俳句」(48年1・2月)を執筆、3周年記念号(48年10月)の評論コンクールでは「虚実論体系」で3位入賞、5周年記念号(50年10月)の評論コンクールでは「切字論」で大関、筑紫とともに同点1位入賞を果たしている。昭和40年代後期、すなわち沖創刊直後の若手有力論客であった。正木ゆう子も、中原道夫も、小沢克己も登場する前の時代であった。


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