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(デザイン/レイアウト:小津夜景)
(デザイン/レイアウト:小津夜景)
墓より始めよ 小津夜景
お隣から戴いた蛙のバケツを提げ、購入したばかりの家の門をくぐると、そこは春落葉の絶えない庭だ。池のほとりで夫がオリーヴの枝を払つてゐるのが見える。私は火の粉のやうに散る虫を避けつつ、枯葉を漕ぎ分けて池に近づいた。
「あ。これ、マラリアに冒された花みたいだよね。『百年の孤独』の——」
夫は私に気がつくと、持つてゐた電動ハサミを一旦止め、足元に蔓延るコロナリアの群生を指さして言つた。そして、
「墓のあたりは、もつと凄いよ」
と付け足すと再び枝を払ひ出したので、私は蛙を池へ放し、その凄い様子を見に行くことにした。
墓に着く。確かに凄い。イスラムタイルの敷かれた地面からこれでもかと雑草が生えてゐる。自分を開拓者とでも思つて働かないとまづ住めるやうにはならない雰囲気だ。安さにつられてこの家を買つたことを私は深く後悔した。
絶望して墓の前に佇んでゐると、ふと墓石の字が読めさうなことに気づいた。見ると「辞世の詩」といふ表現がある。ここは詩人の家だつたのか!と新鮮な感動を覚えつつ解読してゆくと、如何にも詩人らしいひねた文章だ。曰く——
「この墓碑詩は、どうか『辞世の詩』でなく『闘争前夜の総括詩』と呼んで貰ひたい。今から私は『恍惚なき死の世界』といふ、詩人にとり真の闘ひの場へ旅立つ訳だが、そこがいかなる茨の道であらうとも、私には闘ひの場を言葉で彩る趣味などない。さういふ、前線の至るところに何かを屹立させたがる感傷主義は、行為者たる真の詩人にあつてはならないことであり、またそれ故私は、闘争の前にさつさと総括をしてしまふのである。全ての詩人は、まづ墓より始めよ」
馬酔木褪せねばならず存在の家
摘み草の形而柔らかすぎにけり
生ひ茂るアネモネ舌の根が鈍器
かはづ(汝は名指しえぬものとか言ふが)
むばたまの浮き島となる木蓮よ
飯蛸に吸はれわが額は聖地へ
にがよもぎ掴む無窓の此処なるに
拭はれし巡礼の春オキシフル
血に染まるほぞへ残花をふらせやう
モザイクや共同墓地の紫荊
【略歴】
- 小津夜景(おづ・やけい)
1973生れ。無所属。
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