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2014年3月21日金曜日

【朝日俳壇鑑賞】 時壇 ~登頂回望 その七~ / 網野月を

朝日俳壇(2014年3月17日朝日新聞)から

◆シャボン玉割れて太陽消えにけり (枚方市)山岡冬岳

大串章の選である。この句の景は、シャボン玉が映える日中であろうし、よく晴れた春の暖かさを感じさせる日であったろう。シャボン玉に映った太陽のかたちが、もしくは太陽の光がシャボン玉の割れると同時に消えてしまったのである。春季の季題に「春光」があるが、俳句にとって春は光を捉えることに絶好の季節なのである。その光の源となる太陽がシャボン玉に映っているのを見付け出し、一つ一つのシャボン玉に宿った太陽のかたちを追跡したのである。シャボン玉遊びは一つだけ飛ばすことは稀であろうから、沢山のシャボン玉が飛び交い、その数多のシャボン玉の中の太陽のかたちが演じる出来事を単数形の表現で叙法している。

単数形の表現は錯覚なのかもしれない。これは太陽が唯一のものであるからだ。そして光は数えられない量をもつ存在だからだ。もしくは単数複数の明示に鈍感な日本語の特性でもある。その日本語の特性を逆手にとって太陽の唯一単数である事実を踏まえた句作りである。

掲句から離れ今週の選に関してだが、大串章選には、佐保姫を除いても固有名詞を詠み込んでいる句の選が多い。例えば釈迦、イエス、一茶、草田男、清少納言である。長谷川櫂選では、春の季題が四句で雛とその傍題が二句ある。稲畑汀子選では雪の季題で四句、梅が二句である。金子兜太選では、猫の恋が二句、同じく雪とその傍題で二句である。同じ季題で二句選ばれるのは、当季雑詠であればあって当然のことである。また春であったり、今年の場合は雪であったりは頷けるものがある。が固有名詞を詠み込んでいる句が多いのは何故だろうか?と思ってしまう。もちろん筆者は全ての投句を拝見している訳ではないのでそれ以上は言えないのである。





【執筆者紹介】

  • 網野月を(あみの・つきを)
1960年与野市生まれ。

1983年学習院俳句会入会・同年「水明」入会・1997年「水明」同人・1998年現代俳句協会会員(現在研修部会委員)。

成瀬正俊、京極高忠、山本紫黄各氏に師事。

2009年季音賞(所属結社「水明」の賞)受賞。

現在「水明」「面」「鳥羽谷」所属。「Haiquology」代表。




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