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2014年3月21日金曜日

「俳句空間」№ 15 (1990.12 発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ(続・6/林田紀音夫「飯粒にざわざわと春過ぎてゆく」) / 大井恒行

林田紀音夫「飯粒にざわざわと春過ぎてゆく」
                                 

林田紀音夫(1924〈大正13〉8.14~1998〈平10〉6.14)の自信作5句は以下通り。

何を焚く火か何時よりの三日月か   「花曜」1989(平成元)年1月号 
飯粒のざわざわと春過ぎてゆく     「海程」 〃(平成元)年6月号 
銃砲の色で落葉の夜がくる        「海程」1990(平成2)年1月号 
水洟のさびしさの日に幾度か       「花曜」 〃( 〃 )年5月号 
樒立つ時として雨降りかかり        「花曜」 〃( 〃 )年7月号

一句鑑賞者は、小西昭夫。その一文には「同じ晩春から初夏にかけて季節を『春過ぎてゆく』と捉えるか『夏は来にけり』と捉えるかでは、意識のベクトルは正反対である。春という季節は、草木が芽吹き、生命の躍動が始まる季節である。林田の意識の中で、その麗しい春は過ぎてゆき、生命の季節は終わろうとしているのだ。彼の意識の中では、来るべき夏は日照りの中でオロオロ歩く夏なのである。いや、春が終われば、すべては終ってしまうのだと言った方がよいだろうか。『無数の顔のない飯粒が無秩序にざわめきながら最期の季節を迎えている』そういった句意なのだろうと思う」とある。

林田紀音夫には高名な「鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ」の句があるが、あるいは、「騎馬の青年帯電して夕空を負う」も僕にとっては、金子兜太『今日の俳句』で出合った句だ。以後、林田は無季の句を作り続ける第一人者としての印象がある。髙柳重信は林田の方法を「その作家の身の丈どおりにしか書けないような実に正直な書き方」と言ったが、ぼくにとっては、その執拗な姿勢こそがむしろ魅力的だった。あるとき林田紀音夫は現代仮名遣いを遣う理由を問われて、現実の猥雑さに賭けると述べたように記憶しているが、その言い方こそが、つたなかった僕にも現代仮名遣いで書き続ける意味と意思を与えてくれたのだと、今、思い返す。

  黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ      紀音夫 

  いつか星空屈葬の他は許されず 

  洗った手から軍艦の錆よみがえる


などの句も忘れがたい。


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