筑紫:外山氏の時評を材料に少し雑談しましょう。
北川:ニュース画面で容疑者宅の窓内側から貼られたお習字の御稽古作品のようなものを目にしたときに、五七五のリズムが広く浸透していることをまず思いました。また毛筆でありながらポップな字配りにより、どこか人を嘲笑しているように思えること、落款が作品(アートとして、また詩歌としての両側面)だという証のように見えました。
筑紫:確かに、私も見た瞬間に575と読みとれましたが、その後、犯人の文書が、俳句であるか、川柳雑俳であるか(川柳雑俳も575なのですよ。俳人はいつも川柳をないがしろにしますが。まして、雑俳なんて思い浮かべる人がいないようですが)、詩であるか判断する根拠はどこにもないと感じました。このタイトルを、「現代詩?時評」とした所以です。逆に、これを俳句と見るのは、読んだ俳人の枠組み意識が投影しているのでしょう。
北川:外山一機氏の俳句時評【保見光成の「俳句」を信用する】には「俳句」というように「」付で表記されていますが、敢て「」に括った真意を考えるに、見る側が「詩」だと思えば、詩であり「俳句」と思えば俳句ということになるという、受け手側により詩型を分類して考えられるという意味の「」と解釈しました。発信者である容疑者はもちろん詩型について何も考えていないでしょう。
筑紫:「俳句」は俳句と思わせるに足りる高度な技法ですね、「俳句」と書いて雑俳や詩と思う人はいませんから。その意味で、犯人が俳人でないとすれば、犯人の文書を俳人のコンテクストで解釈してしまうことは危険でしょう。犯人がもし詩人であるなら、あるいは詩のつもりで書いたのなら、詩のコンテクストで解釈しなければなりません。たぶん、詩のつもりで書いたのなら、解釈には龍太も兜太も登場してこないでしょうね。
北川:私は容疑者の貼紙には、どこか「相田みつを」的なものを、同時に「相田みつを」の威力を感じました。「みつを」と「かつを」も二文字被っていますし字配りも(「相田みつを」の迫力はありませんが)、どこか似せている。「相田みつを」の作品がどうこういうということではなく、仮に容疑者が「相田みつを」に影響を受けていたならば、「相田みつを」の言葉自体が人の心に押し入る力のようなものを感じました。
そして見る側は五七五による表記が何を意味するのかを考える、省略されているものが何かを解釈しようとする心理が働く。それが「俳句」であるのかは別として、日本語の表現が省略されるときに生まれる微妙な心理、ニュアンスがあることを思いました。
筑紫:そうですか、「相田みつを」ね。外山氏に聞いてみましょう。ただ、事件に関しどのような批評の仕方があってもいいですが、たとえば俳人として考えた場合、犯人の文書を俳句として勝手に解釈してしまうことにより、犯人の有責性、量刑に影響を与えてしまうことだけは避けるべきでしょう。おっしゃるように、相田みつをの言葉に近いとすれば詩人こそ何か語るべきだとなるのでしょうが、詩人は量刑に参加するのでしょうか。
北川:ニュースで映された山口県周南市金城地区の集落はまさにちょうど見てきたばかりの風景と似ていました。私はこの事件発生と同じ頃にちょうど、三橋敏雄の『眞神』の理解を深めたく、秩父の三峯神社に行ってきました。三峯神社に辿りつくまでの風景に「奥武蔵」という地形、そして「村」「集落」について考えさせられました。
秩父鉄道・三峯口駅から三峯神社までの交通手段はバスのみです。バイクや自転車、自家用車での参拝者とすれ違いました。山沿いを走り、峠道の暗いトンネルくぐり、信号があるところに、多少の集落らしき商店が並ぶ。看板を掲げたまま閉店している酒屋、床屋、などが点在。コンビニエンスストアもありません。閉鎖されているドライブインに人影が見えたりしてとうとう幽霊を見たかと驚きましたが、そこに暮らす人がいることが確認できました。廃墟かもしれない民家には、政党のポスター、労働闘争の名残のようなスローガンも見受けられました。
もちろん、麓にはその地を拠点としている企業もあり、人が生活できる環境があることは確かです。ですが、山の暮しと町の暮しは異なります。昭和49年の『眞神』発刊から現在までの40年間に、道は舗装され人々の生活も便利になったのかと想像しましたが、山に残る人々の生活風景は全く変っていないように思えました。逆に『眞神』の当時よりもその格差は深刻かもしれない。
日本の国土は,70%が山地です。そこに郷愁もありますが人が暮らすことに関する問題の方が大きい。なので狼信仰、庚申講のように古くから根付いた信仰というものが人々の暮しの中にいまだに残っていることを思いました。民俗学になってきますね。
報道では「つけびして煙喜ぶ田舎者」を「詩」として伝えている社がありました。容疑者は不特定多数の誰かに見せるために貼紙をしたのでしょうが、このひとつだけを詩歌として作品鑑賞することへの疑問はあります。歌は確かに誰が詠んでもいいことですが、今回の容疑者の作をもしも白泉の「玉音を理解せしもの前へ出よ」、敏雄の「あやまちはくりかへします秋の暮」のアイロニーの側面で引き合いに出されたら・・・違う気がします。嫌ですね。怒りという根本のエネルギーが似ているとしても、白泉、敏雄が俳句に真摯に取り組んでいた事実があるからだと思います。白泉・敏雄を引き合いに出すのが嫌だと言いつつ、もしも保見光成容疑者が「俳句」らしきものを獄中で詠みつづけたとしたら、容疑者と同年と思われる大道寺将司と並べるのはあり、とも思います。怒りのパターンと背景が全く違う世代論として。
筑紫:私も、この事件については、むしろ過疎の山村と介護と言う問題の複合の方に関心があります。
最近親族による殺人事件がやたらと多いでしょう。我々が事件として見聞する半数ぐらいは、親が、又は子供が親族を殺している事件です。殺人があったら身内を疑え、確かに異常な時代かもしれません。今回の事件はもちろん、直接親族を殺しているのではないですが、それを裏返した関係がこの事件では生まれているような気がします。特殊な親族関係(介護)がなければこうした事件は起きなかった可能性もあるからです。
私が知りたく思うのは、犯人はどのように生活していたのか(生活費を得ていたのか)。殺人を犯さなかったとして、犯人は今後(つまり両親の死後)どういう生活設計があり得たのか。犯人にとって働き盛りの40歳から60歳までの介護が精神に及ぼす影響はどのようなものだったのか。それが過疎の山村の中でどのような複合を生むのか。こうした文脈の中で犯人の文書を読み解くべきだと思えます。
いや、犯人の俳句か何かわからない文書以上に、こうした状況にこそ共感が生まれます。この中のいくつかの条件は、私の身の回りの多くの人にも再現される可能性があるからで、それはこうした文書以上の価値があるはずでしょう。
というところでそろそろお開きにしましょうか、きょうは、こもろからの旅行帰り(こもろ日盛俳句祭)でお疲れのところご苦労様でした。
ちなみに、これも余計なことですが、犯人の文書と無関係に、龍太や兜太の句が駄作であればそれ自身駄作なのであり、傑作であれば傑作なのでしょう。事件が起きたからと言って、比較する理由はありません。
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