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2013年6月14日金曜日

【俳句時評】青木亮人編『コレクション・都市モダニズム詩誌 22 俳句・ハイクと詩 Ⅱ』・加藤郁乎編『永井荷風句集』(岩波文庫)/湊圭史


2月の「詩客」「俳句時評 第83回」で、和田桂子編『コレクション・都市モダニズム詩誌 21 俳句・ハイクと詩 Ⅰ』をとりあげました(「-blog 俳句空間-」への移行期にあたっていたらしく、ネット上ではビミョーな場所におかれていますが。「「詩客」俳句時評」)。

今回は、その続編?と、加藤郁乎編『永井荷風句集』(岩波文庫)について。

青木亮人編『コレクション・都市モダニズム詩誌 22 俳句・ハイクと詩 Ⅱ』。『I』にひきつづき『風流陣』、そして、執筆陣が結構重なっている『鷺』がメインに扱われています。『風流陣』は「HAIKAI DU JAPON」を扉に掲げた句誌。前回書いたものを引用させていただくと、

『風流陣』(こちらは1935~39年に35冊刊行)も同様ですが、「モダニズム俳句」誌ではなく、モダニズム詩人たち、例えば、北園克衛、村野四朗、竹中郁らが参加した俳誌なのです。他、室生犀星、丸山薫、田中冬二、白鳥省吾、佐藤惣之助らの名前も見えてます(詩人としての傾向はバラバラですね)。ので、さらに正確には、モダニズム詩人が、ではなく、当時の詩人で俳句に興味があった人たちが作った俳誌ですね。

「(こちらは1935~39年に35冊刊行)」と書いてしまいましたが、それ以降も刊行があったのですね。『Ⅱ』に掲載されているのは、第36冊(昭和14年5月)~第65冊(昭和19年1月)まで。
 さて、第36冊~第65冊に目を通して、前回の感想から意見が変わった点があるかというと・・・、ないですね。実作はつまらないし、散文も仲間内だけの私信のよう。編者・青木亮人さんの一文によれば、

『風流陣』に集う詩人たちは、『ホトゝギス』の高浜虚子や高野素十のように不気味な「写生」句や、破綻と混沌を言い留めようとする中村草田男、また身近な自然描写がそのまま浄土に昇華したような川端茅舎など、有季定型の特徴を最大限まで利用した俳句は『風流陣』にとって好ましくなかった形跡があり、遠い過去の風流な俳人である凡兆や蕪村を愛し、同時代であれば窓秋や波郷に共感したのである。/従って、『風流人』に集う詩人たちは山口誓子のように現代文学や詩同様、都会の最新風物やスポーツなど幅広く扱うとともに、新興写真・建築、映画などに共通する機械とテクノロジーを大々的に詠んだ新興俳句的な作品には眉をひそめたのでは、と感じないではない。(p.850)

とのこと。青木さんは(研究者らしく?)ちょっと回りくどい言い方をしているけれど、単純にいうと、近代俳句のいちばん危うくて、いちばん面白いところとは関係しなかったということでしょう。同じことは、「詩人のみによる句冊子」と扉にある『鷺』にもいえます(こちらは第1輯(昭和18年7月)と第2輯(昭和18年11月)のみ)。一言でいうと、詩人を中心に集まった人たちが趣味的に発行していた雑誌であって、特にいま読まれる必要は感じない。

 しかし、なんだかなあ・・・、と思うのは、作品の質や全体の文芸的傾向、というだけにはとどまりません。二誌の刊行はお気づきのとおり、太平洋戦争へとなだれ込んでゆく時期にあたっているのですが、その時局に対する反応が・・・なのです。『風流人』の扉にカッコよく?掲げられていた「HAIKAI DU JAPON」の文字は、第五十七冊(昭和17年3月)から「俳句研究雑誌」に変更されます。ちなみにこの冊は「大東亜戦争特輯」! 巻頭から、室生犀星の「戦ひ」、佐藤惣之助「陥落後のマニラを回想して」、下島空谷子「靖国の梅」、八十島稔「戦を想ふ」・・・と、なんだか開戦に浮かれきったタイトルのつけられた俳句群が並びます。さらに、この五十七冊には「大東亜戦争特輯家庭版」!なるおまけ付き。その内容はというと、

 日本バンザイ
        北園明夫
ヨクバリアメリカニクマレル
イバツタモンデマケチャツタ
マレイモマニラモゼンメツダ。
アメリカノヘイタイホリヨニシ
タ。日本バンザイバンバンザイ。
  (北園克衛氏令息 國民學校一年生) (p.355)

 ニツポンカツタ
       岩佐總一郎
ニツポンカツタ、ツヨイデス。
オフネヤタンクヲブンドツタ。
アメリカマケタ、ヨワイデス。
イギリスマケタ、ヨワイデス。
  (岩佐東一郎氏令息八歳)    (p.356)

という感じ。明夫ぼっちゃん、總一郎ぼっちゃんには罪はないと思うけれど、おやじ達は明らかに脳みそが湧いていたようですね。

まあ、言いたいことは、趣味的な、高踏的な姿勢で「ぶって」おきながら、ここまで調子にのるもんかねえ、と。モダニズム詩人に対する批判として、時局に対する耐性がなかったというのはクリシェですけれども、なんだか、見ているのもツラい状況です。さらに、このまま、戦争、戦争でいくならまだしも(ではないか、笑)、次の号からは通常モード?の「風流陣」レベルの風流ぶりに戻っているのがさらに・・・。

というわけで、『コレクション・都市モダニズム詩誌 22 俳句・ハイクと詩 Ⅱ』を読まれる方で、上のような事情にカッカとされる真面目な方は『風流陣』『鷺』は飛ばして読むのがよいです。

ただし、ですが、この本をまったく読まないのは惜しい。p.553からの「俳句・ハイクと詩 Ⅱ・関係文献」は『俳句研究』『句と評論』『京大俳句』などからポイントを押さえて記事が集められています。ので、本来は、こちらをメインにとりあげるべきなんだろうな、と思うのです。この時評でも・・・(すみません)。



中途ハンパな風流ぶりに妙な気分になってしまったでしょうから、口直しに、加藤郁乎編『永井荷風句集』(岩波文庫)から、腰の入った風流人の数句を。

羽子板や裏絵さびしき夜の梅 
静かさや庭のあかりは鄰から 
秋近き夜ふけの風や屋根の草 
落る葉は残らず落ちて昼の月 
下駄買うて箪笥の上や年の暮

「句集」となっていますが、狂句、小唄他、漢詩、随筆、写真と俳句、も収められていて、おもしろい。俳句については、最初の自選100句以外には佳句が少なそうなのが、何なのですが。


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