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2013年6月28日金曜日

【俳句時評】 「高柳重信」を知らない僕たちの想像力について / 外山一機

高柳重信が亡くなって三〇年がたった。没後の三〇年間を生きるなかで、高柳の存命中に若手だった俳人たちはようやく還暦を迎えるころとなった。この事態をかつての若手俳人たちはどのように感じているのだろうか。

ところで、還暦の祝賀とは、いったい何なのであろうか。今年は、この西東三鬼の他に永田耕衣もそれに当たった。そして、来年は、山口誓子、中村草田男、秋元不死男、滝春一などが、同じように還暦を迎えるわけであるが、この人生における一区切りは、何を意味しようとして殊更に意識され、かつ祝われるのであろうか。
おそらく、くせものは、この「祝う」という皮肉な儀式の中にひそんでいるのであろう。これは、夭折をまぬがれ得て生き延びてきたことの目出たさを単純に祝福する、いわば目出たずくめの儀式ではなさそうである。それは、一面において、長期にわたった権威の座からの引退のうながしを含んでおり、また他面においては、いよいよ伝説の人としての門出を意味するようでもある。それは、敬して遠ざけることによって、その老残の醜をさらすのをかばい、同時に、自らの進路を清掃するという、後進としての人間が古来つみかさねてきた残酷にして能率的な知恵の現われでもあろうか。ともあれ、一種の晴れがましさと、もの淋しさとが入り混じったような、この残酷な儀式は、そこに
何ごとかの痛烈な思い知らせを含んでいるかぎり、僕もまた、強い共感と支持を惜しまないのである。(高柳重信「還暦その他」『俳句評論』一九六〇・七)

このように述べた高柳自身は自らの還暦の年に亡くなるが、その没年を超えるというとき、そこにはどのような思いが去来するものなのだろうか。いま僕たちが、高柳没後をまさに「高柳没後」という語で呼ぶほかないのだとすれば、あるいはまた「僕も含めて、何かが明瞭な見通しとなって見えてきているという風景はない」(林桂「私的俳句表現の現在」『アルカデイア』一九八〇・四)という「手ぶらの現在」が三〇年後のいまもなお続いているのだとすれば、僕たちはいよいよもってこの新しい還暦俳人たちを葬送しなければならないはずなのである。ただ、「何かが明瞭な見通しとなって見えてきているという風景はない」という状況が常態化した現在にあっては、送る側も送られる側も、きっとそのような儀式の空しさをお互いに見抜いているにちがいない。だから、生きながらえたことを言祝ぐことはあっても、生きながらえてしまった者の痛みや悲しみなどに思いを馳せることはなく、だからこそこのような儀式など思いもよらないのではあるまいか。

話を高柳重信に戻せば、そもそも高柳の還暦の儀式もままならないなかで新たな還暦俳人を見送ることなどお門違いなのかもしれない。今年高柳重信再読の試みが期待される所以であるが、それは安易な称賛に終わるのではなく、その仕事の再検証となるものなければなるまい。

その意味では、たとえば近年の「郊外」論などは、高柳がその晩年に『山海集』において展開した地霊との交感のごとき方法論の射程距離を現在から照射するためのてがかりを与えてくれるものであるように思う。じっさい、あの「飛騨」一群の作品にみられるようなストイックな試みは、僕たちにとってどれほどの切実さをもって迫ってくるだろう。僕たちはまだこうした「神聖な」試みを自らのものとして引き受けるだけの想像力を持ちえているだろうか。

先頃刊行された『現在知vol.1 郊外、その危機と再生』(三浦展、藤村龍至編、NHKブックス)、三五歳の浜崎洋介は次のような文章を寄せている。

かつて三浦展は、酒鬼薔薇事件の後に須磨ニュータウンを訪れた際、「よそ者が入り込む余地」を残さず、「自分がその街に関与する隙間」を排除したニュータウン郊外の風景を見て、それを「私有の空間」だと表現した。そして、そんな空間で「子供がいったん歯車を狂わせたらどうなるだろう」と問うた。が、まさに私が「歯車を狂わせた」子供だった。非人称の視線によって環境管理された「私有の空間」に、自分の居場所を、自分の隠れ場所を見つけ出すことのできなかった私は、次第に、だれも来ないニュータウンの外れにある小高い丘に行くようになっていた。私にとって、その丘の雑木林のなかだけが、学校や家や地域の視線が及ばない辛うじての「外部」だった。(略)
  そして、ニュータウンを去ってから三年後、東京で芸術系の大学に進んだ私は、酒鬼薔薇事件を知ることになる。犯人の少年Aは、ヒトラーとダリとスメタナが好きだったという。かつてのわたしもダリとスメタナを好んでいた。私は、少年Aとの共通点を数えながら、ニュータウンの風景を思い出していた。(「郊外論/故郷論―「虚構の時代」の後に」)

少年Aに自らの姿を重ねる浜崎のありようは、僕にとってもまた他人事ではない。少年Aと同い年であるはずの僕もまた、否応なしに彼と同じだけの年月を歩いてきたのであった。そして僕たちは今年三〇歳になった。

群馬から上京した僕は東京に勤め先を持ちつつ家族とともに「郊外」と呼ばれる土地に住んでいるけれど、東京郊外にある「すずかけ台」や「つくし野」といったふわふわした名前の駅を電車で通過するたびに、僕は少しばかりのむず痒いような感覚と、しかしそれ以上の愛おしい思いとがこみあげてくる。そしてまた、そうした愛おしさについて考えるとき、ふと思い当たるのは、僕が群馬にいたころから商店街というものを妙に敬遠していたことであった。僕の実家のまわりには店などなかったから、買い物に行くときは決まって「マチに行く」と称して自動車で二〇分近くかけて駅前に行くのであった。とはいえ駅前の商店街はすでに機能しておらず駅近くに新しく建ったスーパーマーケットで食料品や衣料品を買い揃えるのである。だから僕には「マチ」とはまぎれもなくスーパーマーケットのことであって、そこにたどりつくまでに通過する商店街は、いわば「なかったこと」になっていた。
あるいは中学生のころ、近所の本屋が突然店をたたんでしまったことがあった。聞けば、すぐ近くにショッピングモールができ、そのなかにある本屋に客が流れてしまったためだという。ちょうどそのころ借地に建っていた僕の実家に賃料の値上げの話が舞い込んだのも、思えばこのころのことであった。田畑が次々につぶされて風景も匂いも急激に変わってゆき、食卓に芹や蝗がのぼらなくなったことで、近所の変化は僕にもはっきりと感じられた。僕は怒りを感じ、その怒りのやり場として初めて戯曲めいたものを書きはじめた。けれど、とうとうそれを書きあげることができなかったのはその怒りが嘘だったからにちがいない。僕は本当はその本屋を愛してはいなかった。だからその本屋が閉店する以前から早々にショッピングモールの中の本屋に乗り換えてしまっていたし、僕の実家が引っ越すことになったときにも別段悲しくはなかった。戯曲らしきものを書きながら僕は、弱者としての自分やあの本屋の姿を想起することに酔っていたにすぎなかった。思えば、ショッピングモールの中のシネコンには通ったけれどあの商店街の近くにあった映画館に決して行くことはなかった僕は、見事なくらいに軽薄な消費者であった。

郊外に散らばるふわふわとした地名を愛おしく感じるのには、こうした僕の出自が少なからず関係しているように思う。僕は古い土地を消去していく行為に慣れていたし、そのようにして出来あがった相対的に新しい何がしかについて、そこに未来を感じることはありえなかったけれど、暫定的な現在を感じてはいた。そのような現在への愛情をもって僕はまた郊外を愛してもいるのである。だから僕は郊外に対する否定的な言葉よりも、次のような言葉にこそ強く共感する。

かつてそこにあったものも、そこで起こり、生きられたことも“忘れゆく場所”であること。互いに互いを見ない場所や人びとの集まりや連なりであること。そこに郊外という場所と社会を限界づけるものがあると同時に、人びとをそこに引き寄せ、固有の神話と現実を紡ぎ出させてきた原動力もある。そんな忘却の歴史と希薄さの地理のなかにある神話と現実を生きることが、郊外を生きるということなのだ。(若林幹夫『郊外の社会学―現代を生きる形』ちくま新書、二〇〇七)

高柳重信の『山海集』での試みは、やがて『日本海軍』へと繋がっていった。軍艦の名を蔵した句をひとつひとつ配置してゆくことによってできあがったいわば高柳のまぼろしの艦隊としての『日本海軍』は、『山海集』以後に高柳が辿りついたもうひとつの犯しがたい領域のありようを示していよう。そして僕はそれを理解することはできても、きっと高柳ほどにはそれを愛することができないだろう。攝津幸彦の「南国に死して御恩のみなみかぜ」についてかつて高柳は「攝津幸彦の世代の人には戦争は概念なんだ」というようなことを言ったというが(宇多喜代子「あゝ三越」『未定』一九九七・九)、この種の行き違いは『山海集』においてもありうることだ。そして僕たちは、この行き違いのままならなさをそのまま引き受けつつ、いよいよ、僕たちの「神話」を生きるほかないのではあるまいか。そう考えるとき、たとえば次のような言葉が、僕にはひどく大切なものに思われてくるのである。

「病理としての郊外」「何もない郊外」という強烈なイメージによる刷り込み、先入観が、私たちの目を曇らせ、あるはずのものを見えなくしている可能性はじゅうぶんにある。もしかしたら、問題は郊外という場所にあるのではなく、そこから何も読み取ることのできない私たちの眼差しの精度にあるのではないか。(佐々木友輔「拡張された郊外におけるアート」『floating view 郊外から生まれるアート』トポフィル、二〇一一)

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