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2013年3月8日金曜日

三橋敏雄『真神』を誤読する 76. <鹽気帯び骨の山まで歩きゆくかな>/北川美美

76.鹽気帯び骨の山まで歩きゆくかな


狼の幻想を引きずりつつ、鎮魂の旅のようである。

鹽気帯び/骨の山まで/歩きゆくかな
※鹽は「塩のこと」 

鹽という難字の使用に加え、句は五七七の調子である。

『まぼろしの鱶』に収められた句(例えば「共に泳ぐ幻の鱶僕のやうに」)に破調の句をみるが『眞神』収録句はほぼ五七五の形式が守られている。しかし、上掲句は例外だ。
上掲句の他に二句、五七七がある。
野を蹴つて/三尺高し/父の琵琶歌
とこしへに/あたまやさしく/流るる子たち
「鹽(塩)気帯び骨の山まで歩きゆく」と五七五で収めても成り立つのところ敢て「かな」を使用している。『まぼろしの鱶』では見られなかった「・・・かな」使いが『眞神』には復活している。この「かな」がキーになるのではないだろうか。

船焼き捨てし/船長は//泳ぐかな    高柳重信

複合動詞(歩く+行く)に付いた「かな」ということになると、新興俳句の動詞の複数使いに詠嘆と言い切れない重信の「かな」使用が加わった感がある。

「歩きゆく」という二つの動詞をひとつにした形は、放浪している、当てもなく歩いている意味が強くなる。それに「かな」を付けると「塩気を帯びるように汗だくになり、骨の山まで歩き行こうかな」と、これから歩いていくことの自問の印象がまずある。

新興俳句といわれる作品の傾向をみていると「かな」使いが極端に少ない。少ないというよりその使用を拒否しているに等しい。その中でいくつか、「蛇となり水滴となる散歩かな 冨澤赤黄男」「雨のあと蝿のとびこむ飼屋かな 平畑静塔」「春の鳥双眼鏡に一つかな 永田耕井」などを見るがそれらは名詞を伴う用法であり上掲句とは一線を隔す。

今までの敏雄句について書かれた論では、『眞神』で復活した「かな」使いは重信との伴走の影響とみる傾向がある。

「俳句評論」ないし高柳重信の叙述の一つの特徴として、下五を「……かな」で止める叙法が当時もあったが、その影響を掲句(「昭和衰え馬の音する夕かな」)の上にもみたいわけである。勿論、『青の中』の古俳諧になじんだ時代の句には「……かな」の叙法がみられはするが、次の『まぼろしの鱶』では、その叙法が全く姿を消してしまい、それが『眞神』では突如として激増する。   『新興俳句表現史論攷 川名大』


確かに当時敏雄と重信はお互い片腕のように影響しあっていたと思われ、重信の「かな」の影響が考えられる。しかしながら、重信よりも以前に敏雄に非常に近く、異色の作家がいた。敏雄が非常に敬愛し懇意にしていた阿部青鞋(1914年11月7日 - 1989年2月5日)である。

冬日の下の粗暴なる木を愛すかな   阿部青鞋 
妻の手の濡れて雫けるは暮るるかな  〃
酒に似る松林の香は淋しいかな   〃
横ざまに鵞鳥の頸の暮れざるかな   〃
『現代名句集 第一巻 阿部青鞋編 昭和十六年発行』

四か国語を理解できた青鞋ならではの外国語のような「かな」である。敏雄の掲句のような「……かな」は青鞋の影響が大きいとみることもできる。

また遡って、江戸俳句をみてみると、このような「かな」使いが江戸の時期に皆無だったわけではなく、異端がある。

二本の梅に遅速を愛す哉   蕪村
夕時雨墓ひそみ音に愁ふかな  〃

やはり異色の作家である。

山田孝雄の文法解説に因れば、

蕪村の句では終止形から「かな」につづけた破格がある。之は漢学の余幣であらう。
『俳諧文法概論  山田孝雄 宝文館(昭和三十一年)』

とある。

青鞋、重信、敏雄に見る 動詞+「かな」は果たして漢学の影響なのか。今となっては、名声とともに重信の「かな」使いの特徴が顕著であるため青鞋の破格な作風の影が薄いことが残念だが、青鞋句の不思議な迷宮とともに「かな」使いが詩的に感じられる。阿部青鞋についての資料は入手困難な状況であるが再評価されるに価値ある作家であることに間違いない。

『眞神』で「…かな」が復活するには、川名大氏の指摘通り重信が直因となっているだろう。しかしながら敏雄の「…かな」のニュアンスを考慮する時、広く他の作家の「…かな」を探求しただろう。蕪村、青鞋にみる動詞を伴う「……かな」に上掲句にみる敏雄の「……かな」を重ね合わせることができるのである。

***

上掲句に戻ろう。「骨の山」とは、人骨が山積みされた山、地獄の山のように木々が枯れ岩肌が露出したゴツゴツとした山のことが考えられる。戦中を生き抜いた敏雄であれば本当の人骨の山ということの方がリアルに想像できる。そうリアルだと思わせるのである。「鹽(しお)」という字が痛々しく本当に苦く感じられる。

昭和30年に敏雄は東部ニューギニアおよびソロモン群島等に戦没日本兵の遺骨収集のための航海に従事している。一語では言い尽くせない。本当の人骨の山、骨、骨、骨の山へ歩いた敏雄の現実。かつて戦いぬいた同じ日本という国を背負い、時代に流されるまま骨になった英霊。その骨の山まで汗をかいて歩いた言い尽くせない悲しみがあると思える。

日本語源大辞典(小学館)の「かなしい(悲しい・哀しい・愛しい)」の項の最後は「感動助詞カナに言辞シが接尾してもの。」(日本語語源学の方法=吉田金彦)とある。

上掲句の「かな」は悲しい(カナシ)の「かな」でもある。
この「かな」の向こう側に敏雄はいるような気がしている。




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