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2013年3月22日金曜日

戦後俳句とはいかなる時空だったのか?【テーマ:書き留める、ということ】/堀本 吟

【七】 「虹二重神も恋愛したまへり」の句について

1)
「七曜」に入り、「天狼」の雑詠欄「遠星集」に投句を始めた津田清子は、「天狼」の昭和二十四年四月号に今までで述べてきた「毛糸編む吾が眼差しはやさしからむ」が誓子選に通った。実質的にはこの句がデビュー作となるが、これは巻頭ではなく後半に取り上げられている。それ以前に、橋本多佳子がこれを最初の出会いの句会の席で特に言及したものである。新人ではあったが、橋本多佳子の強力なバックアップもあり、指導もあったゆえか、遠星集の投句者津田清子の存在を知らしめた次の句は、その年の九月号に巻頭句に置かれている。

虹二重神も恋愛したまへり 奈良 津田清子 {昭24年九月号 天狼)
句会では、この句について、山口誓子は一ページを割いて批評を施している。拙文では、この連載の2月1日掲載に、その批評を転載している。
http://sengohaiku.blogspot.jp/2013/01/horimoto1.html


誓子は。この句の解説をする前に、天狼における、橋本多佳子の位置について述べている。この一文の文意は、なかなか興味深い。まず、俳句の理想が、「芭蕉」であるとしても、その「中間標格として手近な現代作家を標格とし、その作品をめざして進むといふことにならざるを得ない」。

と現在の伝統詩の作家の位置を明記する。そして、「この事情は/女流作家に就いても異なるものではない」。その手頃な作家とは誰あろう橋本多佳子である。「女流として「天狼」精神を最も正しく、最も深く具現してゐる」。「津田清子さんはさういふ(橋本多佳子を標石としている)側の女流としてその進出目覺ましい」。それで「今回はこの女流を巻頭に据ゑた。/女流はこれを機会に奮起して津田さんにつヾいて貰ひたい。」(山口誓子《選後獨斷》)

とある。「中間標格として手頃な現代作家」とは、「天狼」の女流では橋本多佳子であることが示され、津田清子は橋本多佳子の直系の弟子その後続者なのである。「天狼」が戦後の優れた才能を集めていることは言うまでもないし、津田清子が、鈴木六林男や島津亮、岡本風彦等と並ぶ突出した新人であることは言うまでもないことだったのだが、上位に出てくる女性がまだほかにいなかったこともあり、山口誓子選の《遠星集》から、多佳子→清子と云うこのラインをつくることが、「天狼」という俳句組織のこの時期の仕事だったのだろう、とこの《選後獨斷》を読みながらの筆者の感想である。

そのような前説のあとで、誓子はいよいよ句そのものの批評に入るのであるが、これがまた、ほとんど絶賛に近い。

誓子によれば、二重の虹については、日本の古い絵図に描かれ、また中国の古典にも詳しく説明されていることを挙げるがそのような科学的説明を飛び越えて、


(略)作者には、神々も地上の人間の如く恋をしたまふのかと思へてならなかつた。
正虹が男神か副虹が女神か、そんなことの穿鑿を許さぬほどにこの句は直接である。
二重の虹の美しさが即ち神々の恋の美しさなのである。
(傍線 堀本)


と褒め、さらにこの句の「恋愛」という表現が、「虹の美しさを生々と傳えてゐる。」

とつづける。確かに「恋」という言い方ならば、それは古代からの連想を引き、比較的容易に思いつくものであろう。それを「恋愛」といういわばモダンな流行言葉をとりいれたために、その楚辞で表現として活きてきている。戦後の自由恋愛というような風潮に結びつけたところは大胆なのである。

津田さん、周辺の人たちに語るところによれば、当時、「恋愛」という言葉がはやっていたので使ってみた、ということである。(澤村秀子談)

誓子が評価したのは、この瞬時に自分の直感を対象に食い込ませる「直接」性なのであるが、中村草田男の句と比較してこう言う。

草田男氏の「寒星や神の算盤ただひそか」註。昭和23年作『銀河依然』所収昭和28年みすず書房)
を想わはしめるが、「寒星」と「神の算盤」が「直ちに結びつかぬところに一種のもどかしさが感ぜられる。」また。石田波郷の「雨覆」(註・昭和23年七洋社刊。引用句は昭和22年までの作)
にみつけた


  N家もっとも飢ふ

夕虹の二重なすはや寢て了ふか

を並べて、

虹二重の句の「先行者」であるが、津田さんの句は別に新しい境地を拓いてゐる。それは認めねばならぬ。

と言っている。虹二重は容易に恋と結びつくのであるが、「神の恋愛」と言い切った津田清子と云う女性の新人に、山口誓子は、新しい境地を認めている。時代にふさわしい言語、素材としての新しさに注目している。しかも、同じ直感型の草田男が観念的抽象的にとびがちであるそれよりむしろわかりやすいと言わんばかりである。

もとtも、私の取り方では、中村草田男の「神の算盤(そろばん)」は、清子の「神の恋愛」とは少し違う切込だと私には思われる。誓子の解釈に添うとしても、かなり難解な飛躍があり、やはりその表現の独自性は、この津田清子と比較しても始まらぬものがある。

しかし、この場合、「天狼」女性俳句の新人として台頭した津田清子は、卑近な感受性によって、天然現象を一個の劇として捉えたことと、もってまわった言い方ではなく直接に断言したこと、その言葉の歯切れの良さなど、私にとってもこれは清子の俳句の中でもっとも好きなものである。浪漫的でかつ、神を人間の地平に引き下ろした知性があり。茶目っ気もあり、伝統も踏まえていて、それから、なんといっても男たちの句は暗い。抒情のおいて共感は呼ぶだろうし、あっけらかんとしたあかるさは、戦後の民主主義的な開放感をも体現している。

2)

ここで、まとめと次回への導入として、昭和二十四年の第二卷第六號から十二號までの《遠星集》の句を抜き出しておく。


母の忌や田を深く鋤き帰り來し    昭和24、VOL・2 NO.6  

難破船しばらく春の潮湛ふ

野の緑巻尺を卷き了りけり(遠星集1) 昭和24、VOL・2 NO.7、8

百姓の生涯青し麥青し(遠星集2)

身長はまだまだのびる藤畢る

巻頭 虹二重神も恋愛したまへり      昭和24、VOL・2 NO.9

交響曲の最後は梅雨が降りつつむ

紫陽花剪るなほ美(は)しきものあらば剪る 昭和24、VOL・2 NO.10

西日の車窓それから幾頁を讀みし 

青田青し父帰るかと瞠るとき     昭和24、VOL・2 NO.11

吾下りて夕焼くる山誰もゐず

木の実木にぎつしり汽車がぬけとほる 昭和24、VOL・2 NO.12

うろこ雲ひろがりぬ産声を待つ    
1〜5月までは原典を資料としてまだ見ることができないので、宿題として残しておく。
これらの句で誓子が《読後鑑賞》に触れたものについて次回に少し触れる。

引用はまちがえぬようにしなければならないが、こうして書きうつしながら、誓子が考えたこと、清子が感動し、言葉にしようとしたことが、もう一度反芻されるような気がする。すべてを報告することは必要ないはずなのだが、こう書きうつし書き留めるめることで、私の中の戦後のイメージが随分ひろがったような気がする。
(この稿了)

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