澤田和弥を後世に伝えようと先頭を切ったのが筑紫磐井であった。
このプロジェクトに参加させていただいたことを光栄に思う。
この度渡部有紀子を中心に『澤田和弥句文集』が東京四季出版より出版された。
「澤田和弥」として一冊に纏められたもので、後世に残る一書となっていることを喜びたい。この一書は、澤田とほぼ同年代の人が同年代の目線で編まれていることがこの句集のありかたとして優れている点である。
句文集は第一句集『革命前夜』のすべてを掲載している。私は澤田の仕事は『革命前夜』で完結していると捉えている。その点においてこの「句文集の」の冒頭に置かれていることに意義を感じている。句集あとがきに澤田は「僕のすべてです」「これが澤田和弥です」と自らも書き記している。
有馬朗人の序によると「時の日や寿司屋一代限りとす」を挙げ、「家業を継がぬことへのコンプレックスがある」と指摘している。さらに「祖父板前父板前僕鎌鼬」を挙げ、「祖父・父よりの家業を継がないというか、継ぐ力の無いことに対する自虐心が屈折して表されている」と指摘している。最後に「あまりにも繊細な気持ちの持つ若者」と指摘している。有馬はあときがに「澤田和弥がこの『革命前夜』をひっさげて俳句のそしてより広く詩歌文学に新風を引き起こてくれることを心から期待し、かつ祈る」と締めくくっている。澤田和弥には届かぬまま自ら幕を閉じた。
「羽蟻潰すかたち失ひても潰す」「咲かぬといふ手もあっただろうに遅桜」「卒業や壁は画鋲の跡ばかり」「手袋に手の入りしまま落ちてゐる」挙げればきりがない。恐ろしいと思う。どうして澤田はここまで自分を責めつけねばならなかったのであろうか。そのことを師である有馬朗人が答えを出している。「自虐心の屈折」である。理由は「あまりにも繊細な気持ち」である。
この「句文集」を通して、あまたのことに気づきがあった。そう、もう一度この世に生きた澤田和弥」を思い起こしてくれ機会をあたえてくれた貴重な一書である。
一方この句文集にすこし物足りなさを感じていることは否めない。
発起人である筑紫は自らのプログに「十三回に渡って澤田和弥論を展開した。さらに、「澤田和弥は復活する」として、「俳壇時評」十二年六月号「松本てふこと澤田和弥」、「俳句四季」六月号」、「天晴」二〇二一年六月号、にそれぞれ展開している。
さらに、「俳句時評」に「遅ればせながら澤田和弥追悼」仲寒蝉、平成二十五年の「句集評」に澤田和弥第一句集「革命前夜」読後感「言葉のダンデズム」を遠藤和若狭男の論も見逃せない。
これらの資料は澤田を語る上に非常に貴重な資料である。
このらの「論」があってこそ「澤田和弥」は「澤田和弥」たらしめているのではないかと考える。