渡部有紀子さんの第一句集『山羊の乳』は隙のない句集だ。一句一句の完成度が高く、句会の投句一覧の中にあれば選びたくなる句ばかりだ。日原傳さんによる序文は、有紀子さんの句の特徴と魅力をこれ以上ないほど的確に伝えている。色を詠み込んだ佳句が多いこと、美術に関する素材を詠んだ句が多いこと、子育て句も魅力的であること、澤田和弥さんを悼んだ句が収められていること、そして有馬朗人さんへの追悼句の見事さ。
多彩な魅力をもつ句集なので、読者によって惹かれる句はさまざまであろうが、こどもを詠んだ句に好きな句が多かった。わたしのこどもが二歳のイヤイヤ期で、毎日育児に悩んでいるからかもしれない。
人日の赤子に手相らしきもの
句集の二句目にこちらの句があることで、有紀子さんの吾子俳句は甘くない(そこがいい)ということが読者に伝わる。「らしきもの」から、母親であることの実感もまだおぼろげであることを想像した。
歩き初む児について来る春の月
歩いていると月がついてくると感じるあの現象と「歩き初む児」との取り合わせがいい。他の季節ではなく「春の月」がしっくりとくる。この世の不思議を子とともに眺めている。
永き日の逆さに覗く児の奥歯
仕上げ磨きの一句。「逆さに覗く」だけで親と子の体勢がわかる。季語が「永き日」なので、仕上げ磨きを嫌がらない子を想像した。(羨ましい……。)
春夕焼木箱にしまふ紙芝居
さりげない一句だが、たしかな感触がある。紙芝居の句はこどもが身近にいないとなかなか作れない。こうした佳句を得ることで、また育児が楽しくなるのだと思った。
二階より既に水着の子が来る
プールや海水浴が楽しみで、早々と水着に着替える子を詠んだ句はあると思うが、「二階より」に独自性がある。家の造りが見えてきて、「来る」によって子の足音まで伝わる。
子が星を一つづつ塗り降誕祭
降誕祭の飾りの星をクレヨンでぬりぬりと強めに塗っていく小さな手が見えてくる。「一つづつ」の丁寧な描写がいい。
子と歩む名月見ゆるところまで
今日は中秋の名月だよと月の出のころに子を連れ出したと想像した。都会は高い建物が多いので、まだ低い位置にある月を見ることができる場所は限られている。ぱっと見えた名月にわぁっと驚く親子を想像して楽しくなる。
赤子抱き二階より見る神輿かな
まだ子が小さいので外には出ず、家の二階から祭を見ている。赤子のうちから伝統行事を一緒に楽しむ姿勢がいい。句集ではこの句の後に「亡き祖父と三社祭ですれ違ふ」「泥鰌鍋鴨居に雷除の札」と続くことで、一気に景色が広がる。
以上、たくさんあるこどもの秀句から特に好きな句を引いた。
あと個人的な趣味で好きだったのが、句集の最後から二句目の句。
旅芸人黒き箱曳き冬木立
「旅芸人黒き箱曳き」まで読んで、パッと頭に浮かんだのは、金田一耕助シリーズ「悪魔の手毬唄」の恩田幾三のような、昭和初期の詐欺師。すると季語「冬木立」で「おや、昔のヨーロッパの旅芸人かも」という気もしてくる。旅芸人の不思議な色気と、怪しい雰囲気がとてもいい。
執筆者プロフィール
千野千佳(ちの・ちか)
1984年新潟県生まれ。埼玉県在住。蒼海俳句会。2023年、第11回星野立子新人賞受賞。