有紀子さんは静かな熱のある人だ。彼女とはコロナ禍の中、俳人協会若手部のオンライン句会を通して知り合った。句会の中でいつも彼女は皆へ問いかける。自身の句について、相手の句について。ひとつひとつ確かめる。俳句に対する熱を目の当たりにして、いつも背筋が伸びる思いがする。
そんな有紀子さんの熱心な姿をいつも目しているので、第一句集『山羊の乳』を手に取った際は、いささか緊張した。だが、ページをめくりながら、私にまず飛び込んで来てくれたのは燕だった。
つばめつばめ駅舎に海の色曳いて
つばめつばめと繰り返すのは、作者の呼びかけだろう。口にすると私の目の前にも燕の姿が見えてきそうである。「駅舎に海の色曳いて」から、その後の燕の動きを想像することは容易い。燕が駅舎と海を繋ぐ。海の色を曳く燕の線が見える。それは駅と海との間を行き来する作者の想いと重なるのだろう。思わず「つばめつばめ」は口に出して読みたくなる。とても好きな句だ。
娘さんのいる有紀子さんの、母の姿が見えて来る句も好きである。
木苺の花自転車で来る教師
月蝕を蜜柑二つで説明す
台風の目の中にゐて布巾煮る
木苺の花の句。家庭訪問だろうか。木苺の花の白さと葉の青さに、新米教師を想像してしまう。花の季節は4月。進級により、変わったばかりの担任教師。自転車で来るという情報以外ないのだが、木苺の花から教師の色々な様子を想像させられる。
月蝕の句。月蝕の仕組みを知らない、幼い子どもへの説明だろう。そばにある蜜柑をぱっと手に取り、娘さんへ説明する有紀子さんの姿を想像すると、あたたかな気持ちになる。蜜柑の色のあかるさもいい。
台風の句。布巾を煮るという日常の家事が、台風の目の中にあると詠んだ途端、日常から遠ざかる。台風の目の円の中心に、付近を煮る鍋の円がある。その円のすぐそばに有紀子さんがいるのが、なんだか不思議だ。そう、有紀子さんは、異界へ誘い出すのもうまい。
箱庭の夕日へすこし吹く砂金
黄金虫落ち一粒の夜がある
秋の蛾の影を分厚く旧市街
箱庭の句。現実と箱庭のスケールを夕日でつなぐ。砂金を吹くのは人であろうが、箱庭の住人の目線になると、それは風を生む神の姿とも重なる。ただの砂ではなく砂金であることで、夕日の光が粒子となって見える。
黄金虫の句。「一粒の夜」というフレーズがとてもいい。黄金虫が落ちる時、ばちんと音がする。その姿に目を奪われる時、周囲に広がる夜が、その甲虫の小さな体にぎゅっと凝縮される。
秋の蛾の句。「影を分厚く」と言ったことで、厚みのある石の壁の建物と、旧市街の姿が浮かび上がってくる。きっと異国だろう。秋の蛾の乾いた質感も、日本とは異なる乾いた空気を運んできてくれる。そして異界から、日本へ目を向け直す祭の句も少し。
声かけて縄の降りくる秋祭
亡き祖父と三社祭ですれ違ふ
秋祭の句。縄だけに焦点を絞ったのが面白い。確かに縄は、祭の色々な場面で活躍する。山車の上からだろうか。縄がするすると降りて来る。縄の動きとともに、縄の周囲の澄んだ秋の広い青空が見えてきて気持ちがいい。
三社祭の句。「すれ違ふ」の言い切りにとても惹かれた。亡き祖父と、確かに「すれ違ふ」のである。有紀子さんの中にある祖父の姿が浮かび上がって来る。きっと祭が、とりわけ三社祭がお好きだったのだろう。三社祭があるとき、その中にはいつも、亡き祖父が存在しているのである。
幅のある世界を詠んでいるが、その中に一貫して感じるのは有紀子さんの確かめる目線である。ひとつひとつ、納得がいくまで近くから見つめ、遠くから見つめ、句を立ち上げる。
朝焼や桶の底打つ山羊の乳
タイトルとなったこの句も、山羊の乳絞りの様子を、熱心に見つめた有紀子さんの姿を想像することができる。熱のある目のもとに、これからもまた新しい句が生み出されていくのだろう。
【執筆者プロフィール】
藤原暢子(ふじわらようこ)1978年鳥取生まれ、岡山育ち。東京都在住。「雲」同人。2000年「魚座」入会。「魚座」終刊に伴い、2007年創刊より「雲」入会。第10回北斗賞受賞。2021年雲賞受賞。句集に『からだから』。