「極限状況を刻む俳句」を刻む 杉山久子
「戦闘が終わっても戦争は終わらない」(山本章子)
かつて投下された爆弾の不発弾の山の上に腹ばいになって生活しているようなものだと沖縄の日常を指摘する「沖縄季評」の一文が、大関氏の著書を読んで直後の私の心中に重く響いている。
本書では、まずソ連抑留に至る経緯を日清・日露戦争戦争に遡って解説されており、個人の人生が大局に翻弄される状況を見渡すことになる。
続くソ連抑留者の体験談と抑留俳句は、その奥に語られなかった多くを含むであろうことを踏まえながら、刻むように詠まれた十七音からお一人お一人の叫びを聞く思いで読んだ。
声のなき絶唱のあと投降す 小田保
俘虜死んで置いた眼鏡に故国(くに)凍る 〃
日本人打つ日本人暗し日本海 〃
肉体的精神的に苛烈を極める状況の中で、仲間同士の「密告」「つるし上げ」といった更なる精神的極限へと追い詰められる。
秋夜覚むや吾が句脳裡に刻み溜む 石丸信義
棒のごとき屍なりし凍土盛る 黒谷星音
初蝶をとらえ放つも柵の内 庄子真青海
初夢は吾子の深爪また切りし 高木一郎
汗の眼を据ゑて被告の席に耐ふ 長谷川宇一
としつきを黒パンに生き燕飛ぶ 川島炬士
むかれたるまま 蛙 俘虜の手をのがる 鎌田翠山
生々しい臨場感を伴う鎌田翠山氏の句には、生死の拮抗する瞬間が描かれており、それは過酷な体験をされた人々の生をつかみ取ってこられた一瞬一瞬にも重なる思いがする。
鎌田氏のように、シベリアだけでなく欧露の砂漠での捕虜体験や、これまであまり目にすることのなかった女性の俳句(満蒙引き揚げ)を取り上げていることも本書のきめ細やかなところであろうか。
行かねばならず枯野の墓へ乳そそぎ 井筒紀久枝
子等埋めし丘ことごとく凍て果つる 天川悦子
シベリア抑留の過酷な体験を生き延びた父を持つ著者の、今伝えなければという強い切迫感に貫かれた本書では、俳句や句座の存在が当時、そしてその後の人生にどのように働いたかを作者の証言を踏まえての考察がなされている。更には震災詠や現在も終わらないロシアによるウクライナ侵攻などの極限状況においても川島炬士の語る「暗黒の中に一縷の光明こそは俳句であった。」のように、俳句が心の支えとなっている例を挙げつつ紹介する。そこには筆者の平和を希求する強い祈りが込められている。
戦後がいつの間にか戦前へとすり替わってしまうのではないかという危惧も漂う現在、多くの人にこの極限状況に刻まれた俳句と証言を目にして欲しい。