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2023年4月21日金曜日

【抜粋】〈俳句四季4月号〉俳壇観測243 前の十年と次の十年――「二十一世紀俳句時評」の続きは  筑紫磐井

 十年前の本時評で、「二十一世紀俳句時評についてーーー私たちがこれから見る俳句のすがたとは?」を書いた(平成25年1月)。これは平成15年から25年までの時評を振り返り、何を話題としてきたかを回顧したものである。次の6つのテーマを掲げたのである。

①東日本大震災と俳句

②世代交代

③雑誌の興廃

④戦後生まれ以後(新撰21世代)の登場

⑤俳句部品(季語・切字)論争

⑥新しい詩と伝統詩

 あれから十年たったが、俳壇はどのようになっているだろうか。前の十年と比較しながら考えてみよう。


①東日本大震災復旧の難航とコロナの登場

 震災から十年以上経過したが放射能汚染は遅々として進まない。東日本大震災は異常な災害であったということだ。次々に起こる災害があってもそれで塗り替えられはしない記憶が残った。しかしこれにさらに追い打ちをかけるようにコロナと言う災厄が起こった。幸い日本では見られなかったが収容しきれない死体が教会や病院の通路に積み重ねられていたのは衝撃的な映像であった。現在第八波にまで及び、3年以上にわたり旅行や会合の制約が続いている。俳壇にとっても明るい時代ではなかった。

②世代交代

 この時期に至りとうとう金子兜太が亡くなり、その次の世代の稲畑汀子も亡くなり、鷹羽狩行も療養生活からほとんど活動することはなくなった。三人とも大きな協会の会長・名誉会長としてそれぞれの協会に君臨してきただけに、俳壇の方向の見極めが極めて難しくなってきた。さらに三人及び三協会の調整役を果たしてきた国際俳句交流協会会長の有馬朗人の逝去も大きなダメージであった。

 これを受けて俳壇の象徴であった朝日俳壇においても、兜太、汀子から、高山れおな、小林貴子へと選者が世代交代した。

 一方で俳壇をささえる出版社や評論家も忘れてはならない。松尾正光東京四季出版社長や名伯楽の宗田安正の死、あるいは俳壇の本阿弥秀雄社長、沖積社の沖山隆久代表、深夜叢書社の齋藤慎爾氏の近況を聞くことも少なくなった。これらの人によって俳壇の新しい企画は進められてきたのだ。

③雑誌・協会の興廃

 「海程」「狩」「未来図」などの大雑誌が終刊を迎える一方、総合誌「俳句アルファ」も終刊を迎えた。個別の著名雑誌もさることながら、さらに刊行されている雑誌の総数が十年間で25%も減少していることの方が衝撃かもしれない。

 これと平行して、現代俳句協会、俳人協会、日本伝統俳句協会の会員数も減少または横ばいしており、20年前の右肩上がり、行け行けどんどんの時代の面影がなくなっている。こうした時代に対応するため、現代俳句協会も名誉ある任意団体から社団法人へ移行することとなった。

④「戦後生まれ」以後の活躍

 新人顕彰の場が増えて覚えきれないほどの名前が登場してきた。そのような中で、十年前にはまだ新人であった神野紗希、佐藤文香、関悦史、堀田季何、西村麒麟などがすでに中堅として活躍をしている。特に、堀田、西村、さらに堀本裕樹など四十代、三十代の結社の主宰者が登場したことも驚きであった。

⑤俳句論争

 論争というほどではないがアニミズム論がいくつか提出された。また俳句の部品としては切字・切れ論が古くて新しい話として話題となっている。

 一方で「読み」と「詠む」姿勢の対立も浮かび上がっているようにも思われる。多くの近現代俳句の蓄積の下にそれを再生産することによって詠まれる俳句と、作者の主体性で「詠む」俳句は、半世紀前の「作る自分」論争と重なり合う。議論のかまびすしいIT俳句論争もこの二つの立場で意見が分かれるように思う。

⑥新しい俳句

 世代交代が進み始めてはいても新しい俳句はまだ見えてきてはいないように思われる。それは冒頭の震災及びその後のコロナの次の世界が見えてきていないこととも関係がありそうだ。リモートによる句会が進み、ネットによる作品発表が進んでいるとはいえ、それによって血のたぎるような新しい俳句が生まれているわけではない。実は百年前、コロナならぬスペイン風邪が世界中に蔓延し、また関東大震災に被災するという現在によく似た状況が生まれた。その直後、水原秋櫻子、山口誓子、高野素十、阿波野青畝の4Sが登場し、昭和の新しい俳句が誕生したのだ。新興俳句も人間探求派もその延長にある。現在の状況で新しい俳句が生まれてこなくては俳句は滅んでしまうかもしれない。