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2022年12月9日金曜日

英国Haiku便り [in Japan] (34)  小野裕三


ファウンド・ハイク

 アートの世界に、「ファウンド・オブジェクト(found object)」という言い方がある。直訳すれば、見出された物、となるが、ガラクタやゴミも含めた日常的な物の中に作家がアート的な要素を見出し、それをアート作品に組み込む手法だ。

 そんな言葉にも似た雰囲気で、「ファウンド・ハイク(found haiku)」という視点を提示するのは、自らもhaikuを作る米国詩人のビリー・コリンズだ。前回も取り上げた『英語俳句〜最初の百年』という本の中で、コリンズはこの「見出されたhaiku」に言及する。

「あなたがその気になれば、意図せざるhaikuはどこででも見つけることができそうだ。私自身、学校の廊下やスーパーマーケットの通路など、いかにもhaikuなんてありそうにない場所で偶然にできたhaikuを見つけてきた」

 このような視点からコリンズは、やはり自身で優れたhaikuを多く作った米国の作家・詩人ジャック・ケルアックの次の指摘を引用する。「偉大なエミリー・ディキンソンの詩には無数のhaikuが埋め込まれている」。実はそのケルアックの作品についても、ビート詩人の盟友であるアレン・ギンズバーグは、彼の小説『ザ・ダルマ・バムズ』を「千のhaikuによって」書かれた小説だ、と評する。一見してhaikuの形式を取らない言葉やhaikuを意図して書かれていない言葉であっても、そこにhaiku的なものを見出せる。話者の意図を超えて世界中どこにでもhaikuは遍在する、というわけだ。

 実は僕も、英国にいる間に同様のことを考えて「英語の内なる俳句」という一文を書いた(『豆の木23号』)。きっかけはやはり、エミリー・ディキンソンの詩との出会いだった。ロンドンの書店で手に取ったその本は、彼女の手書きの草稿を写真集にしたものだ。19世紀中期の米国を生きた彼女がhaikuのことを知っていたわけもないが、細かな紙切れに鉛筆で流れるように記された彼女の詩は、どこか俳句めいて見えて心を動かされた。

 このような「ファウンド・ハイク」という概念を認めれば、あらゆる国境やジャンルや時代を超えて、haikuを見出すことが可能になる。ディキンソンも「俳人」として認識しうるし、究極的には、古代オリエントのhaiku史、といった概念すら可能になる。

 こうなるといささか誇大妄想めくものの、ケルアックやコリンズなど、英語圏の卓越した詩人たちが「ファウンド・ハイク」を語るのは決して戯れではあるまい。そこにあるのは、haikuに内在する本質的な何かは人類普遍のもの、という発想だ。彼ら自身が英語でhaikuを作り続けたからこそ、自分たちの言葉に普遍的に潜在するhaikuにも気づけたわけで、その事実は軽視できないと思う。

※写真はKate Paulさん提供

(『海原』2022年5月号より転載)

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