俳句新空間16号の特集は「コロナを生きて」。冒頭の発行人筑紫磐井の文にはスペイン風邪当時のホトトギス誌上の動向を伝えるとともに、「虚子がやり残した仕事として、この二年間の俳人たちの心情をリアルタイムで残してみることは意味があるのではないかと思った」と記されている。
募集された句については「コロナ」の語句を直接詠み込むことは条件になく、各々が二年間の「コロナ期間」を念頭に作句したものが集まった。
注意書きだらけの町よ秋の雨 青木百舌鳥
これはこれは不要不急の心太 杉山久子
街に一歩出れば「ソーシャルディスタンス」「消毒のお願い」「一人、または少人数で」…といった注意書きがズラリと並ぶ。
当初はフィルムやラップ類など、急ごしらえだったパーティションも、今ではすっかりアクリル製の製品が導入されている。
また、「不要不急」「三密」「密を避ける」などの珍妙な言葉が日々メディアを賑わせた。なにかの行動について「これは不要不急だから」と唱えること自体がちょっとした遊戯としてくりひろげられた。言葉の意味がねじ曲げられ、おかしな具合に利用されるのもコロナの副症状と言っていいにちがいない。
麦こがし食うて一人や大広間 岸本尚毅
「黙食」という言葉も登場した。いや、現在も飲食店に張り出されたりしている。なんだか禅堂に来ているようだ。
わが去りし席が消毒され西日 仲寒蟬
芽吹きさう検温されてゐる額 ふけとしこ
忙しい飲食店では、客が帰るやいなや椅子からテーブル、メニューまで消毒液で拭き上げるところもある。他意がないことはあきらかだが、己がコロナの手先になったみたいな気分にも、ちょっとだけなる。
飲食店だけでなく、あらゆる場所への入場に検温を求める形式は、まだ続いている。手首だったり額だったり、おもむろに差し出す所作は、何かの儀式のようでもある。
狛犬の阿吽を塞ぐ大マスク 辻村麻乃
爆笑はマスク外せよバカ殿忌 夏木久
2020年、あらゆる場所——薬局、スーパー、ホームセンターなど——からマスクが一斉に消えた際は、これがもとの水準に戻る日はいつになるのか、途方もない時間がかかるのではないかとも危惧した。しかるに2022年の今日現在、前述した場所に、多種多様なマスクは無事在庫されている。価格もおおむね現実的な水準に戻りつつあるように見える。
危機感とはあまり関係なく、またはだからこそなのか、人間以外もマスクをさせられた2年間だった。
そしてコメディアン志村けんの死は、彼の芸の明るさが故に、より悲劇的なものとして語られることになった。「バカ殿忌」は空前絶後の忌日名といえよう。
父の日やしばらく濡れていない傘 なつはづき
入学の後の宙ぶらりんの日々 前北かおる
そうしたさわがしい表層の奥に、変質をせまられた日常が詰まっている。外出を控え、使われることのない傘が玄関にほこりをかぶる。子・孫が親に会えないだけでなく、親の外出も減り、籠もりがちになる。
大学生はリモート授業で登校できず、学友とも教師とも直接会えぬままに学生生活が続く。小中高校生も似たような境遇ではあるが、最も環境の変わる大学生活は、影響がとてつもなく大きいことだろう。一人暮らしの学生はどうするのか。先々の見通しのない感染症だからこそ、対応に困る。
霞みつつ疫がしづかな街を得る 竹岡一郎
東京で巻貝のごと生きてゆく 筑紫磐井
かように人間はあれこれ困り、戸惑いながら生き続ける。しかしウイルスの側からこの状況を見渡せば、まったく違った様相になるのだろう。
スペイン風邪が流行した1920年頃は世界人口が18億前後だった。国連経済社会局から今年7月に発表された推計によると、2022年11月には世界人口は80億に達する見込みであるという。
単純に比較できるものではないが、スペイン風邪の流行当時より衛生環境はかなり改善されているはずだが、人間の数は4倍ほど、その移動は桁外れに広範囲に広がり、気温などの自然条件も異なる。
ウイルス自身が生き延びるための環境条件は、今、緩和されているのか、憎悪しているのか——。
ロックダウン中の街の静寂が、ウイルスにとってのひとつの「成果」として詠まれている。そのしずかな街の其処此処には夥しい数の巻き貝がひそんでいる。SFのあらすじをつなげたようになってしまう、これが21世紀の感染症の渦中にある実景だ。
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