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2021年12月17日金曜日

【連載】澤田和弥論集成(第6回-6)

  (【俳句評論講座】 共同研究の進め方 澤田和弥のこと――「有馬朗人研究会」及び『有馬朗人を読み解く』(その2))


(6)【「俳句四季」二〇一五年一〇月号 [座談会]最近の名句集を探る40】

▼澤田和弥句集『革命前夜』

筑紫 最後の句集は澤田和弥さんの第一句集『革命前夜』(邑書林)です。

 出版されたのは少し前で、平成二五年の七月です。澤田さんは昭和五五年生まれ、学生時代は早稲田大学の俳句研究会に所属していました。平成一八年に「天為」に入会し、二五年に「天為」新人賞も取って、これからという時だったのですが、この第一句集を出して二年後の今年の五月に三五歳で亡くなられました。

 この句集はもう亡くなったことがわかっていて読むと、少し読み方が変わってくるのではないかと思うんですね。それを踏まえて幾つか句を紹介します。

 「冬夕焼燃え尽きぬまま消え去りぬ」。まさに澤田さんそのものを詠んでいるような句で、今読むと印象的です。

 「言霊のわいわい騒ぐ賀状かな」。ちょっと不気味な感じがします。「マフラーは明るく生きるために巻く」は今読むとシニカルにも読めますね。「秋天に雲ひとつなき仮病の日」。職場で悩む事もあったのかもしれません。「生前のままの姿に蝿たかる」「地より手のあまた生えたる大暑かな」。鬱々とした感じが胸に迫ります。

 こういう句ばかりだと湿っぽくなってしまうので「黄落や千変万化して故郷」。故郷に戻ってきてほっとした気持ちが窺えます。「冬の夜の玉座のごとき女医の椅子」は豪華でいいですね。

 有馬朗人さんが序文に「この『革命前夜』をひっさげて俳句にそしてより広く詩歌文学に新風を引き起こしてくれることを心より期待」と書いているのですが、二年後に亡くなってしまう事を考えると悲しく響ききます。

齊藤 この句集には「修司忌」の句が二十句人っているけれども、僕が辛うじて採ったのは「革命が死語となりゆく修司の忌」の一句。全体的に寺山修司の影響はあまり感じられないですね。寺山だったら同人物の忌を二十句も作りはしない。世界で最愛の人が亡くなっても、せいぜい一句でしょう。二十句は死者に対して冷淡です。

 採った句は「シスレーの点の一つも余寒かな」。シスレーの点描画を「点の一つも余寒」と表現するのは面白い。「接吻しつつ春の雷聞きにけり」。これは「聞きいたり」としたい。

角谷「聞きいたり」だとずっと接吻が続いている感じですね(笑)。

齊藤 接吻するか、雷を聞くか、どちらかに専念せよということです。「短夜のチェコの童話に斧ひとつ」。寺山修司は斧を随分詠んでいるから、その影響かもしれない。「幽霊とおぼしきものに麦茶出す」「母も子も眠りの中の星祭」「終戦を残暑の蝉が急かすなり」「香水を変へて教師の休暇明」「金秋や蝶の過ぎゆく膝頭」などを採っています。

 「狐火は泉鏡花も吐きしとか」。泉鏡花と狐火は確かに合うしこのままでも面白いけど僕なら「狐火は泉鏡花を吐きしとか」とやりたい。「も」と「を」の一字で内容は反転する。

堀本 僕は澤田さんとはフェイスブックで繋かっていて、ある俳句の催しに参加しませんかと声をかけて貰った事がありました。結局都合が合わなくて行けなかったんですが、お会いしたかったですね。

 『革命前夜』というタイトルは、自分の内側でまず革命を起こしたい、という澤田さんの気持があったんじやないかなと思います。若くして亡くなられた事でどうしても句に後から意味が付加されて読まれてしまうんですが、できるだけ作品そのものをニュートラルに捉えたいと思って読みました。

 「恋猫の声に負けざる声を出す」。恋猫は実際うるさいんですよね。それに負けないように声を出す。すごく切実な声にも思えるし、楽天的に取ればユーモアとエロチシズムを感じます。

 「空缶に空きたる分の春愁」。春愁の句としてテクニカルな詠い方をしているのですが、同時に彼の繊細さが出ている一句です。「卒業や壁は画鋲の跡ばかり」。卒業の嬉しさよりも寂しさを詠んだ所がいいなと思います。

面白い句で伽羅蕗や豊胸手術でもするか。「豊胸手術でもするか」という軽い言い方に上五が渋い「伽羅蕗」で、日常の食べ物からいきなりメタモルフォーゼするようなところへ飛んでいく、そういう面白さがあります。「外套よ何も言はずに逝くんじやねえ」。友人に呼びかけるような、もしくはつぶやくような一句なのですが、これも亡くなってから意味が出てくる句ですね。自分が死を感じた時に、他人の事がよく見える時があると思うんです。そういう心理の働きがこの句でも見えていると思います。例えば中上健次が宮本輝さんに最後に会った日の別れ際に、「宮本、お前、長生きしろよな」と言ったという話があります。その一年後に中上健次は亡くなるんです。そういう事を思い出して、胸が締め付けられた一句でした。

 この句集を読めて良かったと思います。と同時に第二句集も読みたかったですね。

角谷 私はなるべく亡くなった事を先入観として持たないように読みました。でもタナトスの影がどうしてもちらついてくるんですね。例えば「椿拾ふ死を想ふこと多き夜は」「若葉風死もまた文学でありぬ」。田中裕明さんの最後の句集『夜の客人』に「糸瓜棚この世のことのよく見ゆる」という彼岸に足を踏み入れているような句かありますが、それに近いものを感じました。

 『革命前夜』といっても前衛的な句はあまりなくて抒情的な句が多い印象です。「半烏に銃声響き冴返る」には弛みのない硬質な叙情があります。「拘置所の壁高々と雪の果」。青年期の特徴とも言うべきこの世との隔絶感ですね。緊迫と弛緩の対比で作られているのが「薄氷や飛天降り立つ塔の上」。

 「鳥雲に盤整然とチェスの駒」。「チェスの駒」という整然としたものと「鳥雲に」のような柔らかく自在なものを取り合わせる。この取り合わせはこの方の持っている精神性から発せられているのかなと思いました。

 「修司忌」の句は齋藤さんが仰ったようにあまり採れる句はなかったです。「目」にこだわっている印象が強く、「船長の遺品は義眼修司の忌」など、凝視の作家だと思います。

筑紫 実はもう一つ所属している結社誌「若狭」では修司論を連載し始めてたんですよね、亡くなってしまったので四、五回で終わってしまいましたが。恐らく修司への意識の仕方は作品そのものからはあまり見えないけれど、評論の形で見えてきたかもしれない。

角谷 亡くなられると次第に忘れられてしまうことがあるので、こうやって語られる機会は大事だと思います。

筑紫 これからも澤田さんの俳句が語り継がれていって欲しいと思います。

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