測棹
測量の二人が離れ冬の菊
測棹を倒せば出て雪蛍
綿虫の用あるやうに無きやうに
夕星や白菜が身を締める音
もう走れない枇杷の花高く咲き
・・・
着物を全て手放した。
大好きな帯揚げの二枚と、半襟の一枚、餘布の少し、未練がましくこれだけを残したが、さすがに悲しかった。一枚一枚に思い出も思い入れもあり、洋服を捨てるのとは違う思いだった。
引越しを機に決意したことであったが、この引越しを決めたとき、句友たちは「断捨離ができていいねえ、羨ましい」と言い「その歳で引越しなんて狂気の沙汰や」とからかってくれた。来年より今年の方がまだ若い」と私は強がってみせたが……。
『断捨離』とはどなたかの著書で有名になった言葉。一過性のことかと思ったが、廃れることがない。ということは「断」も「捨」も「離」も誰もが必要としていることでもあるのだ。
かつては嫁入り箪笥というものがあった。その箪笥というもの、よくできているというか、よく物が入るというか、いざ処分しようと思うと、その物の多さといったら半端ではない。箪笥だけではない。机の抽斗一つにしても無用となった筈の物があれこれと出てくる。
遺品整理という職業が成立するのもよく解る。
この度多くを捨ててきたから、私の遺品を整理してくれる人にはかかる負担が少ないだろう。いや、この後負担をかけないよう、物を増やさないよう、心して暮らしていこうと誓ってもいるが……。
夫の両親は住まいにお金をかける人達だった。だから、絵を筆頭に集めた物の数がすごかった。家を引き継いで以降、処分させてもらいながら暮らしてきたが、それでも以前からの調度がまだまだ残っていたのである。
処分費かかりましたよ~と仏様へ愚痴を言いたくもなった。
家終いには本当に体力が必要。来年よりは今年の方がまだ若い、これは冗談ですむ話ではないのだった。
(2021・12)
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