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2021年10月1日金曜日

【連載】澤田和弥論集成(第6回-2)

  (【俳句評論講座】 共同研究の進め方 澤田和弥のこと――「有馬朗人研究会」及び『有馬朗人を読み解く』(その2))


2)【筑紫磐井&渡部有紀子Q&A】

Q(筑紫)この研究会の発足にあたり亡き澤田和弥氏が関与していたことは意外でした。彼の句集『革命前夜』を読み、何回かの手紙のやりとりをさせて頂きましたが、俳句に熱意を持つ一面で非常にナーバスなところもある人のように感じておりました。結果的に直接お会いする機会はありませんでした。有馬主宰の序文に書かれた「『革命前夜』をひっさげて・・・広く詩歌文学に新風を引き起こしてくれることを心より期待し、かつ祈る」も果たされない期待となってしまったのですが、『革命前夜』後の澤田氏の遺志は、この研究の成果で『有馬朗人を読み解く』である程度達せられたのかと思います。

 当時の経緯をもう少し詳しくお話しいただけますか。この研究を読みつつ彼を偲ぶよすがとしたいと思います。


A(渡部)結社の大事な先輩であり、個人的な恩人である和弥氏に注目していただきありがとうございます。本研究会発足の直接のきっかけとなったのは、先に述べた通り和弥氏を招いての藤沢での句会でした。

  句会の幹事をしていた天為の同人、内藤繁氏によると彼を選者に招こうと決めた理由は二つあったとのことです。

(1)当時、「天為」誌上で連載されていた「新刊見聞録」での和弥氏の原稿が、それまでの結社若手のとは全く違っていたこと。句集・俳論に限らず短歌や美術についての書籍を積極的に取り上げ、いわゆる読ませる文体で紹介していたこと。

(2)第一句集『革命前夜』を上梓した際に厳しい内容の礼状を出しところ、即返事が届き論争を仕掛けてきたこと。

 上記の点から彼の飽くなき俳句への探求心を感じ、神奈川県の結社会員、特に若手同人たちに刺激になればと彼を招いたそうです。よって、後に有馬朗人研究会発足のきっかけとなったアドバイスも、「神奈川県の若手を育てる良い方法は何か」という質問に対しての回答でした。

 句会当日は彼の地元である静岡県浜松市の他結社から足を運んだ人もあり、和弥氏は時間ぎりぎりまで全投句にコメントをする熱の入れようでした。当時、安定した公務員の職を辞したばかりと聞いていたので、俳句に何かをつかもうと必死にもがいているようにも感じました。

 研究会発足後も数回は浜松から出席してくださいましたが、やはり「余裕がない」との理由で途中からお見えにはなりませんでした。和弥氏が研究会へ期待されたことが達成できたのか、今となっては確かめようもありませんが「一人の作家を徹底的に読み解くのです」という彼の言葉通りのことは出来たと思っています。後は、参加者各自がこの成果から一歩進んで特定のテーマを見つけ深めていくことが重要でしょう。

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