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2021年7月9日金曜日

【抜粋】〈俳句四季7月号〉俳壇観測222 時間が奪うもの――こもろ・日盛俳句祭と野の会 筑紫磐井

 二年ぶりのこもろ・日盛俳句祭

 時々本時評でも取り上げてきた毎年夏恒例の「俳句甲子園」と「こもろ・日盛俳句祭」だが、コロナの影響で昨年「俳句甲子園」は投句審査に切り替え、「こもろ・日盛俳句祭」は中止となった。今年も、「俳句甲子園」は既に地方大会は中止となった。8月の全国大会は、予定は示されているが予想もつかない。「こもろ・日盛俳句祭」はコロナの継続で今年も小諸に集まっての俳句祭は実施不可能と判断されたが、2年続けて中止は忍びがたかったのだろう、通信特別大会と銘打って開始することとなった。

 もともと日盛俳句祭は「夏潮」主宰本井英が、高浜虚子の明治四十年に行った一夏三十日間の句会「日盛会」に倣ったものだ。はじめは本井宅で行っていたようだが、平成二十一年から、虚子にゆかりのある小諸市で開くこととなったものである。結社や協会の大会と違って、門戸自由で参加でき、句会はボランティアが集って行う点でユニークなものであった。夏の恒例の行事としては愛媛の俳句甲子園と並んで多くの参加者を得ている。俳句祭の中では、虚子が戦中に疎開した虚子庵など小諸近傍の名勝で句会を開いたり、夜を徹しての夜盛り句会を開いたり、講演会やシンポジウム、懇親会が開かれたりと、様々な工夫が凝らされている。こうした常態での日盛祭は令和元年第十一回が最後となったのだが、いわば日盛俳句祭方式で通信句会を行おうというものである。いくつかのグループに分かれ、それぞれのグループにボランティアのスタッフ俳人が張り付き指導するというものである点は変わらない。既に郵送での投句は五月三十一日締切りとなってしまっているので、事後報告となるが、七月末から八月ごろその結果は発表となる。

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 こうして二年ぶりになる俳句祭なのだが、ショックなことがあった。俳句祭の常連となっている働き盛りの作家たちが相次いでなくなったのだ。ほぼ毎年参加している私にとっても顔なじみとなっているだけに驚きである。結社に属している人は、結社でそれぞれに追悼もされるだろうが、こうした超結社の句会の物故者は誰が顕彰してくれるわけでもない。簡単に紹介して、偲ぶこととしたい。

●中嶋夕貴

 「鷹」所属。こもろ・日盛俳句祭の地元の上田市在住。句集に『樹冠』がある(「降りだして樹冠かがよふ鳥の恋」)。平成十二年「鷹」入会、平成二十年再入会し、直前まで中堅同人として活躍していた。昭和二十九年生まれ、令和二年九月に心不全で逝去した。享年66。いつ会っても明るい人であった。

連山を見返す空へ夏燕

汗の手に半券を渡されてゐる

肩ひものよじれポンポンダリアかな

●北川美美

 「面」「豈」所属。歌手渚ようこより誘われゴールデン街の渚の店「汀」の句会に出席、三田完、山本紫黄と知り合い、「面」入会。後、池田澄子のつうの会、「豈」に参加。BLOG、ネット句会「皐月句会」を立ち上げる。評論集『真神考』を準備中であった。昭和三十八年生まれ、令和三年一月死去した。享年57。あらゆることに活溌な人であった。

夏燕崩れ去るものなつかしき

山百合の山のしづけさ真楽寺

夕立の中へどんどん入つていく

 日盛り句会の記憶にある句を掲げてみた。コロナが始まった時、多くの結社の主宰者はそれが終焉するまで我慢をするように勧めた。高齢者にとってはそれは堪えがたいことと思ったが、高齢者に限らない元気な人にとっても堪えがたいことであった。僅か二年間の我慢の間に掛けがえのない連衆を失ってしまったのだ。コロナは矢張り残酷な病気であった。

(以下略)

※詳しくは「俳句四季」7月号をお読み下さい。

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