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2021年4月23日金曜日

英国Haiku便り[in Japan]【改題】 (20) 小野裕三


第二芸術論からコロナ禍の今へ

 僕がいた英国の芸術大学で、何度かイギリス人たちに聞いたことがある。

「俳句は現代アートになりうるでしょうか?」

 答えはいつも決まって簡単だ。

「もちろん、なるわよ。どうしてならないって思うの?」

 異国の地で俳句が「芸術」として認められたようで少し嬉しかったし、あの「第二芸術論」を超えられた気さえした。

 とは言え実はその背景は、そもそも「芸術」の観念が二十世紀に大きく変わった、という側面も大きい。コンセプチュアルアートなどの登場は、美術史の流れを不可逆に変えた。今や、浜辺のゴミを拾ってきてアート作品とするみたいな手法は珍しくもない。ここ百年で「芸術」は大きく転換した。

 そして今、我々はコロナ禍に向き合う。それはアートにどんな影響を与えつつあるのか。答えは簡単ではない。例えば、自己隔離という異常な環境も、もともと芸術作品制作は孤独な作業が多いので違和感はなかったと告白する人も多い。多くの美術館が閉鎖される中で、インターネットとアートとの関係も注目されたが、そのテーマならばコロナ以前から既に大きな課題だった。一方で、ロックダウンなどの社会の風景をアート作品として写し取ろうという動きもあるのは注目される。

 だが、コロナ禍でもっとも浮き彫りになったことは皮肉にも、「その社会が芸術をどう扱うか」かも知れない。ロンドンで僕が出会ってきた日本人アーティストの多くが、できれば欧州で活動を続けたいと希望を語った。理由は、「アートで食べていける」可能性が広がるからだ。欧州ではアーティストへの公的な経済的支援も手厚い。ロックダウン直後にも、ネットで手続きしたらすぐにまとまった額が政府から振り込まれた、といった話を欧州在住の日本人アーティストからも耳にした。欧州には社会全体でアートを尊重する気風があると感じる。英国では、世界的な名画が犇く美術館の展示室で、幼い子供たちが行儀良く座り込んで先生の解説を聞く光景に頻繁に出くわした。そんな美術教育も含めた社会風土の大きな違いがある、と日本人アーティストたちは指摘する。

 私見なのだが、イギリス人たちが芸術に価値を認めるのは、決して美的な側面だけではないと思う。そもそもアートとは何か。英国のアーティストと話す中で、彼らが最大公約数的に抱くある思いがあるように感じた。

 何かを変える力を持っているのが、アートだ。

 アートは個人の中の何かを変え、ひいては社会の何かを変える。決して静的な鑑賞の対象だけではない——彼らは共通に心のどこかでそう信じているように感じた。そしてそんな彼らの思いは、「第二芸術論」が孕んでいた根本的な問いかけにもあらためて繋がっていく。

(『海原』2020年11月号より転載)

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