俳人にしては勇ましい名前を持った方の第一句集である(俳句アトラス、令和二年五月九日刊行)。氏は姫路の俳句の会「亜流里」の代表。跋文は「海光」代表で俳句アトラスの林誠司氏。林氏が始めた句会で、初心のはずの中村氏が常勝であったとか。天賦の才がおありだったとか……。
自選十二句は次の通り。
葬りし人の布団を今日も敷く
遺骨より白き骨壺冬の星
少年の何処を切っても草いきれ
この空の蒼さはどうだ原爆忌
手鏡を通り抜けたる螢の火
蛇衣を脱ぐ戦争へ行ってくる
たましいを集めて春の深海魚
三月十一日に繋がっている黒電話
缶蹴りの鬼のままにて卒業す
水撒けば人の形の終戦日
心臓の少し壊死して葛湯吹く
ポケットに妻の骨あり春の虹
筆者の共感の句は次の通り。(*)印は選が重なったもの。こんなに数多く重なることは滅多にないことである。
013 痙攣の指を零れる秋の砂
017 遺骨より白き骨壺冬の星(*)
017 葬りし人の布団を今日も敷く(*)
018 新涼の死亡診断書に割り印
019 鏡台にウイッグ遺る暮の秋
019 極月や人焼く時の匂いして
025 少年の何処を切っても草いきれ(*)
026 手鏡を通り抜けたる螢の火(*)
028 羅の中より乳房取り出しぬ
030 どこまでが花野どこからが父親
032 右利きの案山子が圧倒的多数
034 斬られ役ずっと見ている秋の空
040 校長の訓示の最中焼芋屋
043 星に触れるために鯨は宙を舞う
044 雪ひとひらひとひら分の水となる
074 原爆忌絵の具混ぜれば黒になる
076 夏雲に押され床屋の客となる
097 夏シャツの少女の胸のチェ・ゲバラ
102 星涼し臓器は左右非対称
103 死にたての君に手向けの西瓜切る
108 桃を剥く背中にたくさんの釦
116 死に場所を探し続ける石鹸玉
130 身の内に活火山あり海鼠切る
131 人間の底に葛湯のようなもの
134 春炬燵脅迫状はカタカナで
143 春は曙女の中の不発弾
148 少年は夏の硝子でできている
158 女から紐の出ていて曼殊沙華
『紅の挽歌』を戴いたとき、凄い名前の方がどんな句を詠まれるのか、興味津々であった。いつもの習慣で、自選句も、序文(この句集にはないが)も跋文も、あとがきも読まないで、先入観なしに17音のテキストを全部読む。そして驚いた。最初の十数頁の衝撃である。
最愛の伴侶を若くして失くしておられる。闘病の過程がつぶさに詠まれている。変化する病状に、ある時は期待を膨らませ、ある時は彼女の激痛に心を失う。涙なくしては読めない。
読んでから考えた。この衝撃的感動はどこから来るのであろうか? まえがきにこうあって、句が続くのだ。
癌の激痛と闘う妻、医療麻薬でも痛みは治まらない
「殺して」と口走る妻
緩和ケアの医師も俺も絶望的に無力だ
もちろん殺してもやれない
ところが、9月、嘘のように痛みが引き、リハビリ室
で歩く練習まで始めた
やっぱり治るんだ(中略)
だが、容態は急変
わずか3週間で、動くことができなくなった
最期は自宅で、と連れ帰った日の明け方、安心し
たのか、天国に旅立ってしまった
10月9日午前6時3分、享年55逝く
並べらえた句はどれもが心を打った。まえがきはかくあるべきと言えるほどの効果を発揮している。筆者(=栗林)はここで、一度前書きを忘れて読み直すことにしてみた。その記憶を完全には払拭できないのだが、前書きがなくとも、俳句の力で迫って来る作品はどれであろうか、と読み返してみた。そして上記の約30句が立ち上がった。中から次の悲しみの6句をあげておこう。
013 痙攣の指を零れる秋の砂
017 遺骨より白き骨壺冬の星(*)
017 葬りし人の布団を今日も敷く(*)
018 新涼の死亡診断書に割り印
019 鏡台にウイッグ遺る暮の秋
019 極月や人焼く時の匂いして
013は、客観写生的な句。「秋の砂」のあはれ。018の「割り印」により立ち上がってくるリアリティ。019の「匂い」の持つ訴える力。前書きがあったせいもあろうが、無くても、一句独立の力が感じられた。
これは筆者の勝手な論なのだが、俳句ほど写生に不向きな表現形式はない。短すぎるし、季語でもって古典的な香りづけがされるからである。喜びも悲しみも普遍化されてしまうからである。ひょっとすると中村猛虎氏は、この悲しみを、短歌か、詩か、別の表現軽視で書いた方が、独特な作品になったかも知れない、とふと思った。しかし、これは感動のあまりの、筆者の世迷言だったも知れない。
さて、悲しさを超えて、あとの句を見てみよう。筆者の琴線にふれる句が沢山あるのである。それらは、前書きなしでも、17音のテキストだけで、俳句であるがゆえの、宜しさを伝えてくれるのである。上記の約30句から下記の7句を挙げよう。
028 羅の中より乳房取り出しぬ
030 どこまでが花野どこからが父親
043 星に触れるために鯨は宙を舞う
103 死にたての君に手向けの西瓜切る
108 桃を剥く背中にたくさんの釦
143 春は曙女の中の不発弾
158 女から紐の出ていて曼殊沙華
030は、残された自分は寡夫であると同時に「父親」でもある、という使命感。それとは裏腹な不安感。
028、108、158はエロチシズムを、しかも108と158は直截的でないが故、その奥に怪しげな、しかし、明るい艶を感じさせる。
043は、星に触れなんとして飛び上がる鯨に、ロマンチズムを、
103は、「死にたての」という措辞に籠めた臨場感を、愛惜を以て、
143では、女性性の不可解さを古典的な「春は曙」なる措辞を用いて、韜晦的に表現している。
作者の多面的な力が発揮された、いかにも刺激的な句集でした。
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