句集『乱雑な部屋』(西村小市)に「だれもが句集を出版できるかたち」という謳い文句の小さなチラシが挟まれている。
100年俳句計画とある。
私は、冊子という外観からちょっと俳句観賞の力みが抜けて自由に読み込むことが出来た。
「あとがき」には、作者の飾り気のない素直な言葉が佇んでいた。
六十五歳になるのを記念して句集をつくることにした。句を書き出し、季節ごとにまとめたが、それを見ていると句集をつくるのはおこがましいことのように思えてきた。でも、「ここまでしか到っていない」を「ここまでは来た」と考えることにした。一句でも気に入っていただける句がありますように。
春愁や学生服の光る袖
春愁は春の物思いのこと。降り注ぐ日の光りは学生服の袖ボタンをきらりと光らせている。作者の観察眼も光る。
表札に残る父の名花曇り
表札に残る父は、もう他界されているのだろう。花曇りは、桜の花の季節の終日曇るような天候を言葉に定着され季語として親しまれている。詠み手の心情は、花の咲き出すことからすっきりとしないが、そんなに暗くない。
人類に尾骶骨あり蝌蚪の紐
蝌蚪(かと)の紐(ひも)とは、オタマジャクシの尾のこと。人類に尾骶骨なるものがあるようにだ。人類の進化は、蛙の成長過程よりも速く、速く、速く突き進むのだが、何処へ向かうのか。
もどらないことだつてあるふらここよ
元に戻らない事だらけの世の中にブランコ(ふらここ)に思いを寄せる。
虫籠の胡瓜崩るる夜が明けて
虫籠の胡瓜が夜が明けると崩れていた。その時間の経過を思い描きたい。
いつだつて自分史書いてるなめくじり
蛞蝓(なめくじり)は、ナメクジの別名。蛞蝓の形態は、筆のようにも見えてくる。いつだって自分史を書く覚悟がうかがえる。
翳りたるところに集ふ目高かな
翳(かげ)に集う目高に託した人間心理が上手い。
砂埃つもりをりたる蟬の腹
観察眼を磨く。たんたんとたんたんと。
きのこ飯妻が隠れて書く日記
俳句日記は、とても素敵な時の宝物。きのこ飯が、なにやらユーモラスにも。隠れて妻が書く日記も、それを見ている旦那の俳句日記も、どちらが赤裸々かしら。
枝豆に見つめられてる夜がある
枝豆に見つめられている夜、か。
月にだけ話したいことないですか
そうですね。私は、月に向かって吠えたい、かな。
いつからだろう。俳人たちの敷居の高さにのっかって句集が、選ばれた俳人たちの物になったのは。こんなに俳句を楽しく詠めるなら誰もが、句集を出版できるようになったらいいじゃないか。句集の呪縛とでもいいましょうか。西村小市さんの句集『乱雑な部屋』による俳句日記の日々を私は、とても良いことだと思う。なんと第六刷り。俳句が、普段着の俳句になることを切に願う。
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