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2020年4月24日金曜日

【葉月第1句集『子音』を読みたい】8  パパともう一人のわたし  北川美美

  「ボヘミアン・ラプソディ」はフレディのピアノソロと「ママー」の歌い出しが強烈な印象を残した。またジョー山中の「ママ― ドゥユーリーメンバー」とはじまる「人間の証明」も冒頭の「ママー」が頭の中を駆け巡る。青年が母親に思いを託すのはエディプスコンプレックスの傾向があるからだろうか。

 もう一度抱つこしてパパ桜貝

 句集『子音』は「パパ」で幕が開く。句集カバーに写る葉月さんは美しい大人の女性だ。

 「抱つこして」の句の「パパ」に不思議な印象が残り、作者・田中葉月のバイオグラフィーを読むイメージで句集のページをめくっていく。読み進めていくとそのおねだりをしている童子と同様、幼少の作者が顔を出し始める。

あのときのあなたでしたかアネモネは
天国のファックス届く風信子
万緑や消した未来の立つてをり
古本に賽の河原の明け易し


 幼少時にどこかではぐれた自分自身、死んでしまったもうひとりの自分、その時を境にこの世を生きてきた作者は、少女期を経て、恋をして、結婚、出産、育児と人生のサイクルを経験してきた。はぐれたままのもうひとりの自分はいつまでも童子のまま。時を経てあの頃の自分に句の中で作者は邂逅しているようだ。

 「パパ」という呼ばれ方をする父親のイメージは、シルクガウンでブランデーグラスを片手にソファに座る男性を想像みたりする。石原裕次郎がいた時代の戦後昭和の華やかさが重なりあう。筆者に於ける身近なパパとは天界の魔王である「魔法使いサリー」のパパ、破天荒で心根のやさしい「バカボンのパパ」という両極端なパパを思い出す。サリーちゃんのパパもバカボンのパパもとてもママに愛され、頭が上がらないパパだった。

 ところで「パパママ」という呼称は俳句との関連が微妙にある。虚子が大正六年に「パパママ反対論」を打ち出し、与謝野晶子から反論を受け、ちょっとした論争に発展したのである(二〇〇六年二月四日朝日新聞)。時を経て「パパ、ママ」の呼称が広く定着したのは、1960年代から1970年代にかけてのオリンピックや万博の頃ではないかと私自身は感じている。アットホームで平和で華やかで勢いのある時代の日本の象徴が「パパ、ママ」という呼び方に現れている気がするのだ。

 『子音』の「パパ」は、高度成長期に多忙を極め子煩悩で優しく、かっこよくて、多くの仲間のいて、洋行帰りのパパ・・・と勝手に読者としての想像が膨らむ。もっと抱っこして欲しかった…しかし、「もう一度」がないことを、人生のどこかではぐれたもう一人の作者は悟っていたようだ。

 四つの章タイトル SPRING BLUE/SUMMER  ORANGE/FALL  GOLD/WINTER  BLACKは、人生の移り変わりを既成概念にない自分の色として表現していることを思わせる。現世を生きる作者は常に彩られている。

人参や絵本の中に脚のばし
金色の扉のつづく枯野かな

 作者を未踏の世界へ連れてゆく道先案内役として童子の頃のもうひとりの作者が時折現れる。「パパ」はもういない。作者はボヘミアンとなり新天地の扉を自ら開き風に吹かれている。そこで聴こえるさまざまな風の音が「子音」なのかもしれない。Anyway the wind blows, doesn't really matter to me.

 以下印象句を掲げよう。


白れんや空の付箋を剥がしつつ
ふらここやうしろに痛み曳きずりて
ふらここの響くは子音ばかりなり
短夜や心音独り歩きして
勾玉の心音はやし薄暑光
月光をあつめてとほす針の穴
美しき父離れゆく草の絮
投げ入れる石の足りない花野かな
どこまでも笑ひたくなる芒かな
短日や絵画の中の砂時計

 本書は、序・秦夕美、本人あとがき、著者略歴を含む。2017年7月30日ふらんす堂〈第一句集シリーズ/I〉として刊行された。定価1700円+税


※現代俳句協会月刊誌「現代俳句」2019年2月号〈ブックエリア〉掲載に加筆修正。

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