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2020年4月10日金曜日

英国Haiku便り(8) 小野裕三



「そりゃ青鮫だね」 〜ハイドパーク吟行会報告

 ロンドンで親しくなったイギリス人とよもやま話をしているうちに、いつの間にかハイドパークで吟行会をやることになった。俳句の経験のないイギリス人やその他の国の人を集めて英語で句会をやって、どれほどうまく行くものか、という不安もあった。それでも、告知ポスターまで作られて話は盛り上がり(写真1)、僕の方でも説明資料や道具などを揃えて、当日を迎えた。
 五月初旬の快晴の日曜日。集まったメンバーは僕を含めて13人。彼らを前に、「俳句とは何か」という説明をまずは始める。以前の本連載でも紹介した、日本の俳句の本質を踏まえつつ有季定型には囚われないという、米国の小説家ジャック・ケルアックが提唱する「西洋流俳句」(Western Haiku)を体験してもらうのが今回のテーマ。理由は二つあって、有季定型は西洋人には馴染みにくくて無用にハードルを高くする、というのが一点。さらには西洋人が有季定型にこだわることでかえって俳句の本質が見えにくくなる、というのがもう一点。
 となると、では有季定型とは別の、俳句の本質とは何なのか、が重要となる。まず僕が強調したのは、芭蕉の「言ひおほせて何かある」だった。俳句ですべてを言ってしまってはならず、読者に何かを残すために、ある意味で俳句は常に「不完全」(imperfect)でなくてはならない、ただしもちろん細心の配慮をもって。そして二点目に強調したのが、実際に見たことだけでなく、感じたことにも忠実であれ、ということ。そのために例に引いたのが、「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」(金子兜太)。もちろん「青鮫」が庭にいることはありえないが、それでももしそう感じたのなら、それを書け、と。そこまで解説を終えて、あとは各自がハイドパーク(および隣接のケンジントン・ガーデン)内に散っていく。持ち時間は1時間。


 ちなみに、暖かい季節になるとロンドン市内の各地の公園で多くの人がピクニックを楽しむ。我々もピクニックがてら、ということで公園内の芝生の上で句会を開始。一枚に一句を書いた紙を芝生の上に並べ、それに各自が選をして名前を書き込んでいく、というスタイルを取ってみた(写真2)。2句提出の3句選でやって見たのだが、8点が入る高点句が出た。

   The wind              風は
   meets the grass   草に出会う
   They applaud       そして拍手する


 僕も一目見て選を決めた句で、英語で読むと確かにいい句だと感じる。次は4点句が一句、あとは3点句以下なので、この句が図抜けていることがわかる。
 それから、点数の順に各自からの句評を進める(写真3)。「イメージが鮮烈」「うまく説明できないけどいい」「うまく組み合ったパズルみたい」「これも取りたかった句だったよ」といった日本の句会でもよく聞くような台詞が次々と飛び出してきたのは面白かった。一方で、各行のレイアウト的なバランスや、あるいは押韻の美しさ、といった点へのコメントがあったのはやはり英語の詩の伝統だな、とも感じた。


 ちなみに、僕も2句作ったのだが、共に無点句。日本人が英語で俳句を作ることの難しさを痛感させられた。そもそも、どのような言葉を選んでも、こちらが思うニュアンスが英語で伝わるのか、という疑問が拭えない。例えば、「雨」という言葉ひとつを取っても、イギリス人の多くが雨が降っても傘を差さないというのは有名な話だが、英国の雨はたいてい、霧雨みたいなものか、少し強く降ってもすぐに上がる。となれば、「雨」が持つ詩的叙情は日本とまったく違うものとなっても不思議ではない。例えば「梅雨」を「六月の雨」と訳して季語として共有しても、その英語から想像できるものは梅雨とは程遠い。異言語の壁を超えて、本当に詩的イメージは伝わるのか。
 だがそんな僕の疑念をよそに、参加者たちはなんだか楽しそうに見えた。吟行や句会は、「ポエトリーのコンテストであり、ゲームです」と僕は説明したのだけれど、歩き廻りながら俳句を作る、匿名の句に全員で投票して結果を競い合う、そんな仕組みの持つ素朴な楽しさが、参加者を魅了していたようだった。俳句の本質論は別としても、そのような俳句のイベントとしての楽しさは、異国に伝えていく価値のあるものなのでは、とも感じた。
 そうやって句会が進行する中で、こんな句(3点句)が取り上げられた。

   Smiling up at lightening  稲光に微笑みかける
   Some say it’s luck          これは幸運だと言う人がいる


 もちろん、快晴なので稲光などは実際にはない。あくまで感じたままに書いたと作者自身が説明する。すると誰かが言った。
「そりゃ青鮫(blue shark)だね」
 僕のアドバイスがきちんと消化されて活かされていたのも嬉しかったし、「青鮫」という言葉がそのような詩的原理の象徴として使われているのも、兜太先生に多くを学んできた者として、素直に嬉しかった。
 広く世界にHaikuを伝えていく時に、五七五や季語よりもまず伝えるべき本質的な何かがある。それが英国に来て以来僕がずっと感じていることだし、その過程において、「言ひおほせて何かある」や「青鮫」という言葉が象徴的なキーワードとして使われていくならば、僕としてもこれに勝る喜びはない。
(『海原』2019年9月号より転載)

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