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2020年2月7日金曜日

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉘ のどか

第4章 満州開拓と引揚げの俳句を読む
Ⅶ 井筒紀久枝さんの『大陸の花嫁』を読む(2)

*の箇所は、主に、(『大陸の花嫁』井筒紀久枝著 岩波現代文庫 2004 1.16)を参考にした筆者文。

【隊員応召後の開拓団集落 17句から】
雪の曠野よ生まるる子の父みな兵隊
*1944(昭和19)年2月末には、開拓団の若い男性たちに大量に、召集令状が届いたという。零下20度から30度となる酷寒の地には、妊娠した者、出産をしたばかりの母親と乳飲み子ばかりが残され、子どもたちの父親はみな兵隊になった。
 このころ、井筒さんもようやく悪阻(つわり)が治まり、授かった命の胎動を感じ始め、8月20日には、女児を難産で出産したという。

 『大陸の花嫁』の手記から、関東軍の兵力が南方戦線や本土決戦に備えて割かれる中、1944(昭和19)年2月末には、関東軍の予備的人材源であり満州開拓団の働き手である男性の多くが、召集されたことがうかがえる。
 その頃の日本の戦況については、1944(昭和19)年2月25日には、「決戦非常措置要綱」が閣議決定され、(国立国会図書館)、1944(昭和19)年3月7日には、「決戦非常措置要綱ニ基ク学徒動員実施要綱」が閣議決定されている。(国立国会図書館)
 1944(昭和19)年7月5日インパール作戦の中止。7月7日サイパン島の日本軍守備隊の玉砕。8月11日グアム島の日本軍守備隊の玉砕。11月24日ペリリュー島の日本軍守備隊玉砕。11月24日には、マリアナ諸島から出撃したB-29による東京初空襲と日本の戦局は悪化を辿っていく(『知識ゼロからの太平洋戦争入門』 半藤一利著 幻冬舎太平洋戦争関連年表P.204から)
 1945(昭和20)年5月8日ドイツが連合国に無条件降伏したころ、日本は米軍との沖縄戦が熾烈を極め、本土決戦も現実化しつつあった。このころ大本営は、関東軍に以下のような命令を下した。

 これに備えて5月30日、大本営は関東軍の完全な作戦態勢への切替を命令し、また『満鮮方面対ソ作戦計画要領』を与えたこれにもとづいて対ソ作戦準備を行うことを命令した。その内容は、「関東軍は京図線(新京‐図們)連京線(大連‐新京)以東の要域を確保して持久を策し大東亜戦争の遂行を有利ならしむべし」というものであった。もとよりこれは大本営の本土決戦に一環として考えられたもので、要するに全満の四分の三は放棄しても、通化を中心とする東辺道地帯にたてこもって、大持久戦によりソ連軍をここに釘付けにしろ、という命令だった。(『関東軍 在満陸軍の独走』 島田俊彦著 株式会社講談社P.26)

 また、『「大日本帝国」崩壊』加藤聖文著P.148‐149には、以下のように記されている。

 実は関東軍内部では、持久作戦へ転換した1か月後の1945年2月24日になって、「関東軍在満居留民処理計画」を策定、ソ連国境周辺の老幼婦女子の退避と青壮年男子の召集が方針とされていた。そして戦時態勢へ移行した5月以降、この計画の実施が検討されたが、大本営からこの計画に対して、現地民の動揺を招きソ連軍の侵攻を誘発する恐れがあると反対され計画は頓挫していた。(「満州国内在留邦人の引揚げについて」)
(『「大日本帝国」崩壊』加藤聖文著中央公論社2009.7.25)

 かくして、関東軍の作戦の本拠地が日本に近い満州朝鮮方面に変更されたことを、ソ連に察知されないよう極秘にされ、開拓移民たちはソ連・満州国境付近の奥地に、取り残されたのである。

【敗戦33句から】
帝国が唯のにほんに暑き日に
*満州帝国に移民で来た日本人の振る舞いは、現地住民を抑圧し苦しめていたと以下のように井筒さんは語っている。‐まさに驕る平家は久しからずの言葉の通り、ある日突然に「五族協和」「王道楽土」の大義名分の上に、打ち立てられた満州帝国は、一炊の夢のように壊滅したのである。‐
 この時のことは、井筒紀久枝著『大陸の花嫁』P.47に、次のように記されている。

 8月9日、ソ連との開戦が知らされた。そして、8月14日残っている男を総ざらえにして召集令が来た。私たちは、自分の夫が応召するときには涙を見せなかったが、そのときばかりはみんな大声をあげて泣きながら見送った。 翌15日夕、その人たちは、ぞろぞろ戻ってきた。(略) 拉呤(らは)までは行ったが汽車は動いておらず、街なかの様子がただごとではなかった、という。(略) 17日、「嬉しいニュースを知らせにきました。戦争は終わりました」本部の人が少しも嬉しそうではない沈痛な顔で、私たちの宿舎へ伝えにきた。(『大陸の花嫁』井筒紀久枝著 岩波現代文庫 2004 1.16)
 

俘虜われら飢ゑつつ稲の穂は刈れぬ
*戦争が終わったのは夏。八月の末には秋がやって来る北の大地の作物は
収穫期を迎え、稲は小金の穂を垂れている。
しかし既に敵地となっている田畑である。これまでの苦労を思うと、飢
えていながら収穫できないことは残念だが、ここは歯を食いしばって耐
えるしかない。

酷寒や男装しても子を負ふて 
*1945(昭和20)年8月25日に武装解除を受けたあと、ソ連兵と中国兵や地元の中国人による略奪が繰り返され、女性は強姦された。髪を剪って顔に竈の煤を塗りたくり、若い娘にも赤ん坊を背負わせて偽装をした。凍てる冬の夜、母親たちは襲撃を警戒して男装をし、僅かに残った農具を持って歩哨に立った。
 開拓団での強奪の様子について、『大陸の花嫁』P.57に井筒さんはこう綴っている。

 夜は現地住民が襲ってきた。
 私たちは、長い草刈り鎌や手製の槍を持って夜警に立った。(略)「ワアーッ」と襲ってくると、私は槍を投げ出し、子どもを預けているほうへ走った。子どもは一か所に集めて、老人や病人が見ていた。暗がりの中わが子を求めて負う。まだ母親が来ていない子は、抱いて逃げた。みんな同じ方向へ逃げた。それを目がけて弾丸が飛んできた。倒れる者、捕らわれる者、もうどうにでもなれと思うほかなかった。それでも私はいつもコウリャン畑へ逃げ込むことができた。清美は泣きもせず声も立てず、体を硬くして、私の背に顔をくっつけていた。   
(『大陸の花嫁』井筒紀久枝著 岩波現代文庫 2004 1.16)


蚤虱じわじわ飢ゑて死にし子よ
*食べ物を摂ることのできない母親の乳は、乳飲み子に十分な栄養を与えることはできなかった。親子ともにじわじわ衰弱し、この世の理不尽は、乳飲み子にも容赦ないのである。地面にじかに寝るため蚤や虱にたかられる。死んだ子からは、蚤も虱も逃げて他の人に寄生するのであ。

【現地脱出10句から】
行かねばならず枯野の墓へ乳そそぎ
*毎夜続く襲撃と略奪。長年かけて収穫できるようになった農地を棄て「根こそぎ召集」のため、数えるほどとなった男性たちについて、子どもたちを連れて脱出することとなる。子を亡くしても子を思うと乳が張ってくる。子の墓へ乳を搾り、涙に咽びながらこれまでの住処を去るのである。
開拓団の最後について、『大陸の花嫁』P.61に以下のように記されている。
  
 第9次興亜開拓団(福井県、昭和15年1月入植)、第1次興亜義勇隊開拓団(昭和13年、内原入所以来現地の訓練所を経て、昭和16年4月入植)の最後だった。(P.61)、昭和20年10月9日興亜開拓団は滅びた。(P.64)
(『大陸の花嫁』井筒紀久枝著 岩波現代文庫 2004 1.16)
(つづく)


参考文献
『大陸の花嫁』井筒紀久枝著 岩波書店 2004.1.16
『生かされて生き万緑の中に老ゆ』井筒紀久枝著 生涯学習研究社 1993年
『シベリア抑留‐未完の悲劇』栗原俊雄著:岩波新書 2016.2.5
「決戦非常措置要綱」(国立国会図書館:https://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00540.php
「決戦非常措置要綱ニ基ク学徒動員実施要綱」(国立国会図書館:https://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00544.php
『知識ゼロからの太平洋戦争入門』 半藤一利著 幻冬舎 2009.4.10
『満蒙開拓平和祈念館』満蒙開拓平和祈念館作成資料
『関東軍 在満陸軍の独走』島田俊彦著 講談社 2005.6.10
『大日本帝国崩壊』加藤聖文著 中央公論 2009.7.25


 

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